7年ぶりに続編が放映中のテレビドラマ「半沢直樹」が好調だ。次々に登場する歌舞伎役者の熱演が、リアル社会の負の側面を誇張している。負が誇張されればされるほど、正義が奮い立ち、最後に出てくる「倍返し」で視聴者は溜飲を下げる。
ドラマで繰り広げられる企業社会の人間関係に、自らの職場のリアルを重ねる人も多いだろう。あからさまな顔芸と、近づく顔と顔。コロナ禍の今でなくとも誇張が過ぎるが、私利私欲を心の底に抱えた輩は、リアル社会に見え隠れする。
一方、奮い立つ正義は、誇張と言うより、願望だ。己を捨て、弱者と誠実な人たちに寄り添い、悪を正すリーダーは、残念だが今のリアルには簡単には見当たらない。リアル世界でも、こんな人が現れてくれたらと望みながら、気がつけば自らも傍観者だ。いや、傍観者ならまだいい。日本の職場には、周囲に同調して、不本意にも不正に加担してしまうリスクさえも潜んでいる。
正義に徹し得ないのは、正義感が全くないからではない。そうできない事情があるからだ。人によって理由はさまざまだろうが、先ずは経済的な理由が一番大きいと思われる。会社を変わっても経済的にやって行けるなら、信じることを貫けるだろう。自立した社会人には、特定の会社に頼らず、社会で生き抜く力を持つことが基本要件だ。
社員が社会的に自立した力を持つことは、会社にとっても重要だ。大量生産時代なら、黙って会社の言う通りに仕事に励む社員が重宝だったかもしれない。しかし、技術革新と社会環境の変化が激しいこれからの時代を、この種の人材で乗り切るのは難しい。よしんば会社が窮地に追い込まれた時、社外では通用しない社員だけが会社にしがみつき、言うべきことも言えないでいるとしたら、会社は復活するどころか、益々危うくなるだろう。社員の自立と会社の発展は不可分なのだ。
こう言うと、「社員に自立を促すと、他社に転職してしまう」ことを危惧する経営者が未だに散見される。大きな誤認だ。社員に自立を促すことと、自立した社員が会社を辞めることは、別の問題だ。社会のどこでも働ける社員が、この会社で働きたいと思える会社を創り上げることこそが、経営の仕事と言える。
ドラマの中での悪役の顔芸と役員会議室のテーブルの大きさは極端な誇張だが、悪もテーブルもリアルに存在する。一方、半沢直樹は今の日本のリアル社会には存在し難い。実在する悪の誇張と、実在し難い正義への希求の組合せに、このドラマの人気の秘訣があるとみる。
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