M0 会社勤めは誰もが「必要にして、十分にあらず」


 
会社の業績結果やプロジェクトの成果を語る際、「全て自分の力やリーダーシップで達成した」かのように話す経営者に出会うことがある。経歴紹介文にも「5年連続で増収増益達成」、「赤字企業の再建成功」など、個人の功績のように書かれることが少なくない。しかし、これには違和感を覚える人もいるのではないだろうか。

企業活動のように複数の人が集まって役割分担し共通の目標を達成するときは、どれだけ優れたリーダーがいたとしても、その人ひとりで成果を出せるわけではない。関わる人が多くなればなるほど、リーダーの力だけでなく、メンバーひとり一人の力の結集がモノを言う。

私自身の経験からは、この認識は職責が上がるほど、すなわち事業活動の現場からの距離が遠くなるほど鮮明になるように思う。直接手を下せる範囲や機会が減り、より多くの人の関わり合いによって物事が成就することを実感するからである。企業経営でもスポーツでも、チームプレイを旨とする世界では「誰もが自分だけでは十分ではない」という認識が大事だ。

他方、時として企業のトップが自らの貢献を小さく見過ぎて、「会社が成し遂げた成果は、全て皆さんのお陰だ」とする発言も耳にする。特に日本企業のトップにこの種の発言が多いように思う。日本人特有の謙虚さからくる言い回しかと思うが、ここまで奥ゆかしくならずとも、自分のリーダーシップと関りによって成し得た成果を客観的に評価し、主体性を持った発言をしても良いように思う。

トップにはトップとしての役割があり、それ故に多くの人が関り、会社の舵が切られ、発展し、望む成果と社会貢献を達成することが出来る。トップにはそれだけの責務がある。さらに言えば、特定の役割とその遂行責任を持っているのは何もトップに限ったことではない。チームの全てのメンバーに当てはまることだ。チームワークにおいては、「誰もが必要とされている」認識が欠かせない。

すなわち、我々は事業活動の中にあって、すべからく「必要にして、十分ではない存在」と言える。「自分が必要とされている」と実感することで、自己肯定感が生まれ、同時に「自分だけでは十分ではない」と認識することで、謙虚さが生まれ、他者を尊重する心が育まれる。ここにグループに属する人々が連携し、互いに快活に活動する鍵があるように思う。

「必要にして、十分にあらず」の「十分にあらず」は社会生活での動かし難い現実ゆえ、是非を問う必要はないと思う。しかし「必要にして」は少し事情が異なる。

貢献したいという思いはあっても、それを実現できる力がないことには、必要とされる成果は生まれない。好きな人をドライブに誘いたいなら、車の運転が出来なければならないのと同じだ。職場においては、自分の担当業務で期待されるアウトプットを出すこと、そのための業務遂行能力を持っていることが必須である。

自分が生み出す貢献の大きさは、自分が持っている能力の大きさに比例する。この種の能力は職業人としての経験と学びの蓄積によって培われる。特に学びは、自分が社会の中で責任を果たしたいと欲する限り永遠の営みとなる。社会人にとっての学びと能力開発がこのような意識で支えられていれば、学習に対する考え方や取組み姿勢も自ずと違ってくるものと思う。

自らの職業人としての力を定期的にチェックし、これからもこれを高める学習を怠らないようにしたい。

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