M0 どうせやるなら、楽しくやる

 


人生には、自分ではコントロールし難い「与件」がつきものだ。与件とは、前提となる条件や制約のことを指す。会社生活には、意外とこれが多い。与件を知り、これと上手く折り合うことが、経験を積み上げるうえでのコツのように思う。

社会に出て初めて勤めた職場は、横須賀の造船所だった。所属は設計部。研究所が希望だったので、内心不本意な配属だった。当時(1970年代)の日本の造船所は大型タンカーの建造真っ盛りで、最初に担当した装置は、積み荷となる原油の量を測る液面計。単純な装置で、正直、始めはあまり興味が湧かなかった。

しかし、マグネット式やレーダー式などいくつもの測定方法があり、何隻分かを担当するうちに造船所内で液面計を最もよく知るようになった。そうなると所内の各部門から問い合わせや依頼事項が来る。新米にもかかわらず、一躍所内で「液面計博士」の称号を得た。これが最初のステップとなり、以降、造船技師としての色々な仕事に興味が広がり、職業人としての幅が広がっていった。

この経験から、会社人生の極意は「Must(やらねばならない事)を Will(やる気)になって、Can(やれる事)を増やすことだ」と、その時、勝手に会得した。さらに、やれる事(Can)が増えれば、やるべき事(Must)をやりたい事(Will)に変えやすくなる好循環も生まれる。

この時、同時に脳裏によみがえった言葉が「どうせやるなら、楽しくやる」。母が子供の頃、祖母から言われた言葉と聞いていた。おそらく、幼い母が親から言いつけられた事をイヤイヤやっていた時のことだろう。母がこの話をしてくれた時の私も、同じような態度だったのかも知れない。そこは都合よく記憶にない。91歳で母が他界して3年になるので、祖母が発したこの「喝!」も90年ほど前のことだろう。

祖母の言葉と「 Must > Will > Can  の極意」は通ずるものがある。そもそも、人は生まれて来たこと自体が自らの望みではない。気がついたら自分だった・・のだから、人生も、始まりは Must だ。それも、生まれた時代や国籍や家族など、自分ではどうしようもない多くの与件を抱えてのスタートだ。

その一つひとつを、その後何とか Will に変えながら生きて行く。おかげでこの歳になると、相当怠惰な身でも、それなりの Can も積み上がる。これからは、この Can を一つでも多く次の世代の人たちに手渡したい。彼らが首尾よく、Must > Will > Can のサイクルに乗れるよう・・。


「どうせやるなら、楽しくやる」 祖母の教えが、今でも我が家の家訓だ。