「モノ言う株主」と呼ばれる人たちがいる。株主も人なので、モノ(意見)を言うのは当然だ。しかし、日本ではこれまで株主があまりモノを言わなかった。これもヘンだが、やっと一部の株主がモノを言い始めたら、「もっと配当をふやせ」、「自社株買いをしろ」と、自分の利益のことしか言わない。これはもっとヘンだと感じる人も多いことから、こんな呼び名がついたものと思われる。「モノ言う株主」について考えてみたい。
「モノ言う株主」は、大半が、投資家から集めた資金を運用することで、利益(リターン)を生むことを期待されるファンドと呼ばれる存在だ。彼らの生業が、投資でリターンを得る金融ビジネスであることを考えれば、株を使って自分の利益を最大化しようとする意図は理解できるだろう。
問題は、彼らがあまりにも短期に過剰なリターンを要求することで、企業の利益を生みだす仕組みや発展の芽をつぶしてしまうことだ。少しでも早く多くの金の卵を手に入れたいあまり、メンドリのおなかを切り開いてしまっては元も子もない。
事業運営で株主がどのようにリターンを得るかは、財務諸表を見れば明らかだ。損益計算書には、最初に顧客への売上高か記載され、その下に仕入業者(原価)、経営者や従業員(人件費)、銀行(借入金の利息)、国や地域社会(法人税や地方税)などの利害関係者(ステークホルダー)への支出が記載され、最後に純利益が示される。損益計算書には株主への支出の記載はない。株主が登場するのは、純利益が確定した後、その一部を配当金などで支払う段階である。
さらに、企業の純利益の使い道も「株主への還元」以外に「事業への投資」と「負債の返済」が考えられる。この内、事業が継続的に利益を生む(=メンドリが毎朝卵を産む)ためには、「事業への投資」を第一に考える必要がある。
すなわち、株主は、事業に関わる他の全てのステークホルダーへの利得を優先し、事業が継続して運営されることを担保した上で、初めて自らの利益が得られるのである。自らの短期的な利得をコントロールして、事業を発展させることに心を向けると、長期にわたって利益が最大になる。ここが、株主が事業投資からリターンを得る上での勘所だ。
株主がこの理念と仕組みを理解し、長期的視点に立つことが、現行の株主資本主義を健全に機能させる大前提だ。しかしながら、近年、長期的に安定した利潤より、一過性の大きな利益を短期に得ることに人々の気持ちが傾いているように思う。
株主の立場を利用して欲望のままに暴走する行動を制御するには、株式市場での新たなルールづくりが必要だ。しかし同時に、事業にかかわる我々ひとり一人が、社会とどう向き合い、自らの欲望にどう処するべきかを深く内省することも大事だ。かつて近江商人が商売の基本とした「三方良し*」も、渋沢栄一が言う「算盤には、論語が伴うべきこと*」も、これに通ずる。特に株主と経営者には、この理念が欠かせない。
元来、株主はモノを言うべき存在である。そして、その言動にこそ社会の成熟度が現れる。人間社会は、「短期的な欲望」ではなく「長期的な幸福」によって、「奪い合い」ではなく「分かち合い」によってのみ存続し、繁栄し得る。この大原則は、いかなるステークホルダーにも明らかなはずである。
*1「三方良し」:買い手、売り手、世間の三者を重んじる近江商人の商いの訓戒
*2 関連図書:「論語と算盤」 渋沢栄一著 ちくま新書
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