赤字つづきで回復が見込めない事業でも、なかなか撤退できない。そんな悩みを抱える日本企業は少なくない。特に、幅広い事業領域をカバーする重厚長大型産業には、これが散見される。長年にわたって全社収益を圧迫しているのにやめられないは、なぜなのか? 経営者の心境からは三つのことが浮かび上がる。
● 一つは、「いつかは黒字になる可能性を捨て切れない」ことだ。
日本のコングロマリット(複合企業体)は、複数の異なる製品事業を手掛けることで、景気変動リスクに対応してきた。ある時期はA事業がB事業の赤字をカバーし、別な時期にはB事業が稼ぎ頭になるという構図だ。しかしこれは、短期的な景気変動はあっても、大方が右肩上がりの経済成長の時代に成り立ったことだ。顕在需要が軒並み飽和状態の時世では、ダメな事業は(そのままでは)いつまで経ってもダメなままの可能性が高い。
日本のコングロマリットには、相乗効果が見込めない製品事業を多数抱える企業が未だに多い。海外企業と比べて収益力が低いのは、これが一因している。製品毎の事業規模も相対的に小さく、海外市場でも苦戦する。事業の「選択と集中」を行い、製品、サービス、組織、仕組み、人をセットでグローバル化すべきところだが、それも一朝一夕には成し難い。そうなると、国内で消耗戦を続けることになる。
● 二つ目は、従事している「社員の処遇の問題」だ。
撤退すると、社員の行き場がない。本来は成長分野に振り向けるところだが、社員側も長年一つの製品事業だけに精通しており、異動には消極的だ。「リカレント教育」と称して、新たなスキルを身に着ける機会を提供することも考えられるが、そもそも追い詰められてからの即製教育では心もとない。この種の教育は、もっと早くから恒常的に行うべきものだ。何よりも、赤字事業に長年社員を縛り続けた会社側の責任は大きい。
● もう一つは、「長年続いた事業を、自分の代でやめることへの心理的負担」だ。
サラリーマン経営者には、特にこれが強いように見受けられる。社内に顧問や相談役などの肩書でOB経営者が残っている場合は、なおさらだ。
つまるところ、「なぜ、この事業から撤退するのか、その後の事業展開はどうするのか」を判断し、実行するだけの経営力の欠如と言わざるを得ない。さらに気になるのは、赤字事業から撤退できない会社ほど、経営者も、社員も、新たな事業を創出する行動力が極端に弱いことだ。新しいこと、先が見えにくいことにはブレーキがかかり、あたかも職場全体が混雑した交差点のど真ん中で身動き取れない様相だ。このため、将来に向けて全社が目指す「大きなストーリー」がますます見えなくなっている。
ある企業で中堅社員グループが、今後の市場環境と過去からの事業活動の経緯をもとに、長年粗利も出ていないほどの大赤字にある製品事業の撤退を経営陣に進言したことがあった。それに対する経営陣からの返答は「長年の赤字、イコール、撤退ではない」だった。ならば、その事業を続ける意味はどこにあって、今後どう変革するのかが争点のはずだが、それについて語られることはなかった。
撤退すべき赤字事業(INSOLVENCY)をやめられないのは、過去からの枠組みに捕らわれ、新たな企業ステージ(NEW BEGINNING)へと移行できないことを意味する。日本中がこのような会社で溢れれば、当然、社会は停滞する。
経営の基本に忠実に事業運営できる次世代経営リーダーの育成が急務だと、改めて強く思う。