京都の料亭だったと思う。私の方が遥かに若輩だったが、接待を受ける側だった。仕事でお世話になっている代理店の社長さんが設けてくれた宴席である。お酒も入りすっかり打ち解けて、話は彼の若い頃の苦労談義に及んだ。
最初に勤めた会社では、朝から晩まで顧客先を走り回って細かな要望に応え、一つでも多くの注文を取った。会社に帰ってからも、その日の伝票の処理や翌日届ける商品の検品などで夜中まで働いた。深夜になってようやく仕事が終わり、その後、一日の反省会を兼ねて仲間と飲みに出る。午前1時、2時まで飲んでも、翌朝はまた6時に出社する毎日だったとのことだ。
将来必ず独立する。とにかく夢中で働いた。あの時があるから今がある。「下村はん、人生、勢いでっせ!」
心にズシンと来た。当時、私は外資系のバイオテクノロジー関連会社の副社長で営業部門の責任者をしていた。40代前半の頃で、経営者としても駆け出しだった。前職の経営コンサルタントの経験を実業に活かすべく、頭の中には、プロダクト・ポートフォーリオ・マネジメントやマーケティング・ストラテジー、セールスフォース・マネジメントなど、経営に関するカタカナ用語がうず巻いていた。
現場たたき上げの老練な社長さんには、そんな私が、理屈が先行する頭でっかちな人間に見えたのではなかろうか。四の五の言わずに夢に向かってひた走る。「懸命に汗を流すことの大切さ」を教えて頂いたように思えた。
振り返ると、「勢い」に任せて後先も考えず「よくあんなことが出来たな」と思うことがある。しかも、それが人生の一大事だったりする。私の場合、最初の転職がそうだった。日本の旧財閥系企業から、当時まだビジネスとして成り立つかどうかも不確かだった経営コンサルティング業界に、それもスタートアップ間もない外資系企業に身を投じた。幼い頃からの夢だった造船技師としての職業人生を断念した瞬間でもあった。
正直言うと経営コンサルタントに転じた時点で、私は財務諸表がよく読めないばかりか、資本と資産の区別さえもついていなかった。「経営力を身につけて、不況にあえぐ造船業界を何とかしたい!」その一念だった。それがその後の人生を大きく変えることになった。
人の世をのありようを綴った徒然草*の一説に、「しやせまし、せずやあらましと思うこと、おほようはせぬはよきなり」という一文がある。「やってみようか、やらない方が良いだろうかと悩んだ時は、大抵はやらない方が良い」といった意味かと思う。
著者の兼好法師はこう説くが、「勢い」があるときは「せずやあらまし」(やらない方が良いのでは)というわだかまりがない。あっても気にならない。だからこそ一気に「勢い」に乗れるようなところがある。
生きる上で「勢い」を味方につければ、強い。もしどうしてもやりたい事があるなら、四の五の言わずにやってみることだ。その時点では行き着く先が見えなくても、一歩前に踏み出せば景色が変わる、新たな未来が拓けてくる。
「人生は、勢い!」 ダイナミックな可能性に富む生き方の鍵のように思える。
(註)*徒然草(つれづれぐさ):鎌倉時代末期(1,300年代初期)吉田兼好によって書かれたとされる随筆。清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と共に、日本三大随筆の一つ。