長期にわたる社会、経済の停滞感から、イノベーションへの期待が大きい。しかしながら、医療など一部の領域でベンチャービジネスが盛んになって来てはいるものの、日本全体のイノベーションの機運は、欧米、中国などと比べるとはるかに低調と言わざるを得ない。特に、大企業の動きが鈍い。
スマートフォンのような世界を変えるほどのイノベーションでなくとも、職場には大小さまざまなイノベーションの種が埋もれている。今や多くの事業領域で顕在需要が満たされ、事業存続のためには新たな価値の創出が求められている。大量生産や大型プロジェクトを分業で行うことに慣れた体質から脱し、これらの種を一つひとつ拾い上げ、製品やサービスに結びつける必要がある。
このために経営トップが見直すべきは、自らの人事マネジメントの心の置きどころだ。新たな価値創造は個々の「人」によるところが大きい。分業体制で与えられた作業を従順に淡々と行う従来からのスタイルから、個々人の意志や欲求を尊重し、内発的動機にもとづく仕事スタイルへと転換する必要がある。
人の欲求を考察する心理学に、「マズロー*の欲求5段階説」がある。人の欲求には基本欲求から高次欲求まで順に、①生理的欲求、②安全欲求、③社会的欲求、④承認欲求、⑤自己実現欲求の5段階があるとし、一つの段階の欲求が満たされると、もう一段上の段階の欲求が芽生えるというものだ。留意すべきは、下位欲求の充足が上位欲求を生む必要条件であり、欲求の変化が階層的に段階を踏むとしている点だ。
マズローの5段階の欲求を、①と②を「衣食住の確保」、③と④を「存在の肯定」、⑤を「意欲の喚起」の3つにくくると、企業経営との関連が見えてくる。「衣食住の確保」には一定以上の給与を担保する必要がある。パートや非正規社員の賃金の低さが課題とされているが、正社員であれば一定レベルは満たされているだろう。少なくとも今の日本の職場にあって、飢えることはマレだ。
次の段階の「存在の肯定」は、社員が職場を心地よい「居場所」と思えているかどうかだ。社員が仕事に充実感をもち、周囲からも存在を認められ、自己の成長が促されていることが肝要だ。多分に個々の企業文化と上司・部下の人間関係に依存する。実はここが上手く行っていない職場は多い。しかし、マズローによれば、これが満たされなければ、その上の「自己実現欲求」は喚起されにくく、内発的動機に突き動かされた改革やノベーションも起こり難いとされる。
社員に能力があり問題認識も的確なのに、改革やイノベーションが起こらない背景には、「職場が社員の心地よい居場所になっていない」ことが多い。日本には「月曜日の朝、会社に行くのが楽しい!」と思える職場があまりにも少ない。これは個々の社員の問題ではなく、明らかに経営の問題だ。
「我が社はイノベーションが起こせていない。もっと創造的になれ!」と、社員に檄を飛ばしたところで、イノベーションが起こるわけではない。「人の意思を尊重し、意欲を喚起する経営」が求められている。企業の存続と発展には、人事マネジメントにおけるこの心の置きどころが益々問われることになる。
(註)*アブラハム・ハロルド・マズロー:米国の心理学者(1908~1970)Humanistic Phycology(人間性心理学)の生みの親とされる。
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