M5 正しいことは人に嫌われないように言う



「〇〇君、正しいことは人に嫌われないように言え」 若い頃、上司にそう言われたと、親しい知人が話してくれた。大手企業のトップを務めた彼は、常に笑みを絶やさない、温厚なお人柄だ。おそらく40年以上も前のことかと思うが、彼の心に長年刻まれたこの一言は、私にとっても貴重な教訓となっている。

正しいことが、人の心に素直に届くとは限らない。「論理」と「感情」は別物だ。相手の理解と共感を得ようと思えば、相手がどんな事情にあって、どんな考えや気持ちでいるかを知る必要がある。いったん「相手の立場になる」ことだ。だが、これが難しい。

「サリーとアンの課題」と呼ばれる他者理解力を計る発達心理テストがある。こんな内容だ。①サリーとアンが部屋であそんでいる。②サリーはあそんでいた人形をカゴの中にしまって部屋を出る。③サリーが出た後、アンがカゴの中の人形を別の箱に移してしまう。④人形であそぼうと、部屋にもどってきたサリーは人形をどこに取りに行くのか?

テストでは、3歳児では半数以上が「箱に行く」と答える一方、4歳児では逆に半数以上が「カゴに行く」と答えるようになると言う。人間は、自分が得たままの情報から、自分を他者の立場に置き代えて解釈する力を4歳くらいで獲得するらしい。

我々は、その後の成長過程で、他者の置かれた状況だけでなく、それに伴う心情をも理解するようになる。しかし、時と場合と、そして人によっては、大人になってもこれが十分にできないケースがある。日々のコミュニケーションで、「こう言ったら、相手はどういう思いになるのか」に考えが及ばず、不本意な結果を招いた経験は誰にでもあるのではないだろうか。正直言って、私にはこの種の反省が多い。「サリーとアンの課題」が示唆する本質は、単純なようで、実践上の奥が深い。

「相手の立場になる」ことを、英語では「他者の靴の中に自分自身を置く」(Putting yourself into others’ shoe)と表現する。英語の言い回しは、自他の境界が分かりやすい。相手の靴の中に自分を置くことが出来ても、どう感じるかは自分(yourself)であって、相手(others)ではない。同じ状況に置かれても、考えや対応は人それぞれだ。他者理解はどこまで行っても詰め切れるものではない。

「論理」と「感情」、「効率」と「効果」、「やるべきこと」と「やりたいこと」。ともすると両立し難いこれらに、経営は対峙する。事業が「論理」や「効率」や「やるべきこと」を追求する一方、事業に携わる人間がこれだけでは処せないところに、事業運営の難しさ(と妙味)があるとも言える。

「正しいことは、人に嫌われないように言う」 コミュニケーションは、自分が正しいことを証明するだけのものではなく、お互いが分かり合うためのものでもあることを、もう一度心に留めたい。