M10 核戦争回避・ジョン F. ケネディの遺言


 

核兵器の戦いで行きつく結末は、これから生まれる世代にも影響を及ぼす。全面戦争は無意味だ。屈辱的な撤退か、核戦争かの二者択一を強いるような対決は避けなければならない。われわれを結びつける絆は、小さな地球上で共に生きている事実だ。皆、同じ空気を吸い、同じように子供たちの将来を大切に思っている。

59 年前(1963 年)の 6 月 10 日、当時の米大統領 ジョン F. ケネディがアメリカン大学の式典で卒業生を前に、自国民と世界の指導者に向かって放った言葉だ。前年のキューバ危機でソ連との核戦争をギリギリで回避した彼の言葉には、自らを律し、国民に自制を求め、平和を希求する信念がにじみ出ている。その言葉はそのまま、現世の我々に向けられている。

現下のロシア・ウクライナ戦争はなんとも腑に落ちない。現代にこのような戦争が起こること自体信じ難いが、それが戦車と歩兵を送り込んで他国の領土を略奪することだとしたら、時代が 100 年以上も前に戻ったかのような錯覚に襲われる。

ソ連は、第二次世界大戦で戦勝国側にありながら、最も多くの人命を失った国だ。ヒトラー率いるドイツとの激戦により、1,300 万人以上の戦闘要員と700 万人以上の民間人が命を落としたと伝えられる。それがトラウマとなってか、今も西側陣営の拡大が侵略への猜疑心となって、疑心暗鬼を生む。NATO諸国との間に地政上の緩衝国が介在しない限り、枕を高くして眠ることができない心境なのだろう。プーチン大統領が言う「ネオナチ」とは、我々にはとうに消え失せた亡霊のようだ。

何と言っても、現時点で行うべきは一刻も早い停戦協定の合意だ。このままの状況が続けば、双方ともに犠牲者が増え、不条理な悲しみと憎しみを積み増すばかりだ。戦後のロシアにとっても決して得策ではない。

先日、国連のグテーレス事務総長がプーチンとの会談に臨んだが、和平交渉への信念と迫力に欠け、深い議論が出来ているとはとても思えない。これまでの平時外交や G8 などを通じてプーチンを知る世界の指導者は多数いるだろう。彼の考えや人となりも分かっているはずだ。プーチンを孤立させてはならない。人は孤立すれば判断を誤る。

在留ロシア大使も、安易に国外に追放すべきではないだろう。回帰不能な一線を越えるギリギリまでは、相手とのコミュニケ―ションチャネルはむしろ堅持すべきだ。1962 年のキューバ危機の戦争回避には、ケネディとフルシチョフの間での直接の書簡交信と、当時司法長官だったロバート F. ケネディと駐米ソ連大使とのホットラインが決定的な役割を果たした。


「日米、防衛戦略の目標共有-
防衛相表明。攻撃型無人機を活用」( 5 月 4 日 日経新聞朝刊一面)。日本の新聞には、まるで戦時体制下のような文字が躍る。世界 63 か国は、第一次世界大戦以降、「国際紛争の解決に武力は用いない」ことに合意している。1928 年に起草されたパリ条約だ。国際法上は今でもこれが活きている。批准国にとって、戦争は犯罪以外の何物でもない。

今や人類は一瞬にして地球を丸ごと破壊するほどの大量殺りく兵器を手にしている。未来を託す子供の命を守るための停戦合意さえままならないのなら、人間社会は破滅に向かうだろう。

卒業式典でさらにケネディは言う。「人間が作り出した問題は、人間の手で解決できるはずだ。」
ダラスで凶弾に倒れる 165 日前のメッセージだ。われわれは彼のこの信念に応えられるのか。世界中の為政者と国民の真価が問われている。