M10 会社は本当に株主のモノか?

 


日本において「会社は株主のモノ」と言われ始めたのは30年ほど前からだと思う。それ以前は会社は誰のモノでもなく「社会の公器」(事業を行う器)と考えるのが一般的だった。「アメリカ流株主資本主義」が浸透し、今では「会社は株主のモノ」が当然のようになっている。会社は本当に株主のモノなのだろうか?

結論から言うと、「NO」である。少なくとも、私はそう考えている。

そもそも会社は「モノ」ではない。確かに、株主が投じた資金がビルや工場設備に変わり得る。しかしこれらのモノは会社の資産であって、会社そのものではない。会社の実態は「事業という人間活動」である。これは人が所有できる「モノ」ではない。もし株主が人(社員)の活動を所有するのなら、奴隷制度と同類に属することになる。近代社会では人が人を所有することは禁じられている。

「会社は株主のモノ」とすれば、株主にとっては好都合だ。所有者の立場で自らに有利に会社をコントロールできる。株主が事業を良くすることより、短期的に自己の利益を最大化することを優先すれば、会社は本分である社会価値の創出を継続できなくなる。

会社は今や「金融商品」と化している。株取引はそれぞれの会社の事業への関心からではなく、極短期間で利ザヤを稼ぐマネーゲームの様相を呈している。かつ、このゲームは人間の営みからかけ離れた世界で興じられる。

現在、証券取引所の取引はコンマ数秒間隔で行われており、少しでも早く、少しでも多くの「サヤを抜く」(利を得る)コンピューターのアルゴリズムが操っている。コロナ感染やロシア・ウクライナ戦争で実体経済が低迷しているのに株価だけが異様に高いのは、市中のカネ余り状態に乗じたマネーゲームの産物以外の何物でもない。

「アメリカ流株主資本主義」に則れば、株主が会社を金融商品としてコントロールできることになるが、この株主に今は何の資格要件もない。子どもが、ある日株を手にして「ボク、お父さんの会社の株主になったよ」が起こり得る。

これは社会システムとして、間違いなく間違いだ。企業経営の実務経験者の視点からは、現行の株主資本主義には最低でも次のような修正が必要とみる。

・ 企業が発行する株式を、株主総会での議決権(取締役選任を含め経営に関わる権利)がある株とない株の2種類とする。

・「議決権ナシの株」はこれまで通り株式市場での取引対象とするが、株主は会社の経営には一切関与しない。会社を金(ゴールド)相場や原油の先物取引同様、金融商品として扱う人たち用の株だ。

・「議決権ツキの株」の所有者には、それぞれの企業が要件を設定する。短期利益目的で株を売り抜くことを制限するために、株の売却には一定の保有期間を設定する。また、自社が掲げる企業理念や使命に共感し、事業活動を支援する意志のある人(機関)が株主となるよう資格要件を設ける。

近年、株主資本主義の権化(ごんげ)の国とも言えるアメリカでも、欲望のままに暴走する資本主義に警鐘を鳴らす人たちが出て来ている。その一人、ノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・E・スティグリッツ氏は、「各々の自己利益の追求が『見えざる手』のごとく社会を良い方向に導くという(資本主義の父と呼ばれる)アダム・スミスの250年前の主張は、間違っていた」と語る。

社会経済システムは、時代の検証に耐え抜いてより良いものへと進化する。現行の「アメリカ流株主資本主義」は明らかに未完の途にあり、根本的な誤りを正す時にある。私にはそう思える。


(関連図書)
・欲望の資本主義 ルールが変わる時 丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班著 東洋経済新報社
・会社はだれのものか 岩井克人著 平凡社