M10 日本株式会社は OTD へ舵を切れ!


OTDとは Original Technology Development:独創的技術開発のことだ。日本は国を挙げて本気でコレに取組む必要がある。しかし残念ながら、現実はこれとは乖離している。「なぜOTDなのか?」、「進まない現実」、「OTD推進の要点」の順に記したい。

「なぜOTDなのか?」:古い話で恐縮だが、私の小中学生時代(1960年代頃)、社会科の教科書には「日本は天然資源が乏しい国なので、原材料を輸入して製品を作って輸出する加工貿易で生きていく」と、判で押したように書かれていた。これが当時の国家ビジョン・国が掲げる「錦の御旗」だった。教育は工業国家に適する人材を育て、企業は大量生産に適した工場を建てた。これに国民の努力が重なり、戦後再スタートを切った日本は瞬く間に世界第2位の経済大国にまで上りつめた。正解だった。

だが、その後が問題だ。生活が豊かになって社会コストが上がり、もはや「加工貿易」ではないことは明らかなのに、国も企業もこの成功体験「工業化社会」から抜け出せていない。転換のタイミングを逸して、すでに30年が経つ。今からでも遅くない。「加工貿易」から「技術開発立国 立社」へと舵を切るべきだ。

すなわち「日本は天然資源に乏しく(ここまでは同じだ)、すでに工業化を遂げた社会コストが高い国なので、これからは高度な人的資本を活かして高付加価値技術開発で生きていく」。教育を筆頭に、国も企業もこれに合致した運営形態を作り上げる。経済のみならず、国の安全保障にもこれがプラスに効くだろう。核技術に限らず、AI、センサー、量子、半導体などの分野での先端技術の単独保有が戦争抑止力につながるからだ。

「進まない現実」:政府は「科学技術・イノベーションへの投資」を政策の一つに挙げている。しかし日本の技術開発投資額は、今でも中国、アメリカに次ぐ世界第3位だ。にもかかわらず、企業の「モノづくり現場」は荒れている。過去の知見や技術が次世代に上手く引き継がれず、かつ、新規案件や開発の経験が乏しいまま中堅になった社員が多数を占め、品質トラブルが多発し、新技術の導入も上手く進まない職場が目立つ。

先ごろ、国を巻き込んで取り組んだ国産ジェット機の商業化プロジェクトが、度重なる計画延期の末、15年の歳月を経て断念された。開発を担った企業は日本でも優秀な人材を集める国を代表する企業だ。この事態は重く、国を含む抜本的な改革が求められる。

OTD推進の要点」:鍵は組織マネジメント力と継続的な基礎研究だ。開発現場に目をやると、OTDに舵が切れない要因は、社員の資質や投資額の問題より、組織マネジメント力の欠如の方が大きいように思えてならない。「開発テーマが絞り切れず、総花的に薄く広く投資をばら撒く」、「開発結果を定量的に評価できず、開発効率と効果を上げる仕組みがない」、「担当者に自由度が少なく使命感への刺激も乏しいため、内から湧き出る研究開発意欲が芽生えにくい」ことなどが上げられる。

すなわち、高度成長時代に勢いにまかせてきた組織マネジメントが、事業が凪(なぎ)状態に入って、仕組みにも、育成にも、ほころびが露わのまま放置されているのである。先ずは「人を束ねて結果を出す基礎力」を集中して強化する必要がある。

一方近年は、DXやプラットフォーマー、マネタイズやビジネスモデルなどのソフトなテーマに経営意識が向いている。しかし、元来、事業の中核(差別化)価値となるのはハードな「モノ技術」。特に基礎研究には継続的な投資が必要だ。中でも素材・素子開発が鍵を握る。いつの世も「材料を制する者は、工学を制する」。今後、企業の研究所からもノーベル賞受賞級人材が続出するような国家を目指すべきだ。これには短期的な儲けを追求する姿勢とは異なる経営の覚悟が要る。

新たな社会価値を生み出す技術開発力が世界をリードし、国を豊かにする。今年4月、徳島県名西郡神山町に国内19年ぶりに開校した高等専門学校・神山まるごと高専。同校が掲げるテーマは、

「モノを創る力で、コトを起こす」

日本が注力すべきはココだと思う。