先ごろ、過去 10 年間にわたり次世代経営リーダーの育成に携わってきた企業との研修プログラムが完了した。この間、全 12 期、延べ 200 名ほどの塾生諸氏と、毎期数か月間一緒に経営を学び、多くを語り合った。コロナ前は宿泊研修だったこともあり、実に緊密な関係を築くことができた。このような機会に恵まれたことに、心から感謝している。
弘下村塾では、これまでに延べ 600 名ほどの塾生諸氏と交流し、さまざまな分野での知見を交換し、共に実経営課題に取り組んだ。私にとって掛け替えのない学びと成長の機会となった。
冒頭の企業との次世代リーダーの育成は、Y氏とのご縁がきっかけだった。彼との出逢いは 10 数年前にさかのぼる。当時勤めていた外資系企業と日本のある大手企業との間で、世界規模の戦略的タイアップを模索したことがあった。この妥当性と実現性を検討するプロジェクトの日本企業側の実務リーダーがY氏だった。
この種のプロジェクトでは、両社のメンバーが自社の利益を優先するあまり、検討過程でさまざまな対立が生じることも少なくない。一般に「Win-Win」の関係を目指すことが是とされるが、私の経験では、プロジェクトの規模が大きくなるほど、このスタンスでは上手く行かないケースが多い。
いくら両社共に「Win-Win」を心がけても、勝ち負けを意識している時点で破談の種をまいているとも言える。集中すべきは、「タイアップにより、二社それぞれが単独では達成できない社会価値をいかに創出するか」だ。この共通目的の下に一つひとつの課題をクリアすることが、この種のタイアップの成功の鍵となる。自社の利害を超えてこのステップを着実に踏み、双方が納得する絵が描ければ、最終的に両社の社員にも株主にもプラスの結果をもたらす。
Y氏は、これを理解する日本企業側の数少ないメンバーの一人だった。オフィシャルなプロジェクト活動とは別に個別面談を繰り返し、この大型タイアップの実現に向けて肚を割って話し合った。残念ながら、結果的にはこのプロジェクトは成功の日の目を見ずに終わったが、彼との関係は清々しいものとして残った。
それから数年後、私は外資系企業の経営職を辞し、日本の次世代リーダー育成に身を投じることとした。その際は真っ先にY氏を訪ね、その趣意を伝えた。まさにその時、彼の会社では事業のグローバル展開に備えて経営人材の育成を加速する計画が進められているところだった。渡りに船がごとく、私の関与が決まる。何か大きな力に導かれるような、あっと言う間の展開だった。それが以降 10 年間続くこの企業との経営塾の始まりだった。
明治から平成を生き抜いた哲学者 森信三は、「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早からず、一瞬遅すぎない時に」と述べている。私もY氏とのご縁から、その後の経営塾を通して日本のこれからを担う多くの人材と出逢えた。これらの方々とは今も卒塾生ネットワーク「弘倫館」でつながっている。
人生は 出逢うご縁の おかげ橋
橋は人なり 人は愛なり
ネットワーク「弘倫館」は、私の一生の宝物となっている。
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