M5 その「させて頂きます」は適切ですか?


ことば遣いは時代とともに変化する。今や「ヤバい!」と「マジで?」は、すっかり市民権を得たようだ。ことばは多くの人が使うことで自然と定着するものだが、それぞれの言い回しにはそれなりのTPO(時・所・場合)がある。使用には最低限の留意が必要だ。

昨今多用されることばの中で、使う場面と使い方に疑問に感じる言い回しがある。「させて頂きます」だ。「させて頂きます」は、受け手に許可を得る、話し手の謙虚さを含んだ耳心地がいい表現である。が、これも時と場合による。明らかに自分の意思で行うべき行為にこれを使うと、却って相手の信頼を損ねかねない。

新型コロナウィルス感染拡大の最中、「どんな状況になったら、飲食店の夜の営業を再開できるか?」を問われた担当大臣が、「早急に条件をお示しさせて頂いて、対処させて頂きます」と応じたことがあった。どう考えても「早急に条件を示して対処します」で十分だろう。政府への信頼感が失墜していた折、この「させて頂く」に、却って「本当にやってくれるのだろうか」と不安になった人もいたのではないか。

また、ある大手企業のIR(投資家向け)イベントの業績発表の場で、財務諸表のある項目の「数値が昨年同期と比べて大きく違うのはなぜか?」を問われ、財務担当トップが「昨年は構造改革を実施させて頂いてございますので・・」と返答する場面があった。

ここまでへりくだると、構造改革は誰が何ために実施したのか、経営者としての心の置き所はどこにあるのかに疑念を持たれかねない。特にこの企業は、その数年前に不正会計処理が明るみに出て処罰を受けた過去がある。過度に慇懃(いんぎん)とも取れる経営トップのこのことば遣いは、明らかに不適切と言わざるを得ない。

弘下村塾では、中堅クラスの次世代リーダーが経営課題に取り組み、改革案を経営陣に発表する場がある。この場でも、経営陣に対して「ご説明させて頂きます」や「ご提案させて頂きます」を口癖とするメンバーが散見される。これを「説明します」、「提案します」と言い切ると、自らの意思が前面に出て発表に迫力が増す。

たかが「言い回し」と侮(あなど)るなかれ。時と場を心得ず、「とにかく、へりくだっていれば安全」とばかりに「させて頂きます」を乱用していると、自らの意思と主体性までもが萎えてくる。世の中に信頼に足るリーダーが見つけにくい昨今、組織の上に立つ人がこの姿勢だと、社会は混迷の色を深めるばかりだ。

ファミレスやファーストフード店の出店が相次いだ頃、マニュアルに沿った受け答えしかしないパート店員が話題になったことがある。以来、スターバックスなどを始め、人と人との生身の対話を大切にするサービス業者も一部に出てきてはいるが、今や店舗に限らず、社会生活のいたる所で「型にはまった応対」が定着してしまった感がある。

昨今開発が著しい「生成AI」は、感情を持つことまでは叶わないが、感情表現を学びこれを使いこなすことは出来る。ナチュラルさを含め、AIの表現力は今後益々レベルアップするだろう。生身の人間が画一的な言い回しやマニュアル的な応対しかできないと、心を持たないAIが心豊かが如くに話し、心を持った人間が心ない話し方をする逆転現象が起こり得る。

今、リーダーに問われるのは、心の底から沸き起こる強い意志だ。周囲を過度に慮(おもんぱか)る「させて頂きます」に気を向けることなく、自らの思いを情熱を持ってことばにする力こそが、AIは到底及ばない、多くの人を引きつけるリーダーの条件と言える。