M10 ウクライナ国境まで450km ポーランド第5の都市ポズナン訪問


東はウクライナとベラルーシ、西はドイツと国境で接するポーランド、その第5の都市ポズナンを訪れた。弘下村塾の卒塾朋友Mさんが現地法人トップとして赴任して2年が経ち、彼の近況を伺い旧交を温めるのが目的だ。

ロシアの武力侵入にさらされるウクライナの隣接国ゆえ、さぞ緊張モードにあるかと思いきや、市中はいたって平穏だった。「戦争勃発直後はウクライナからの避難民を受け入れる政策から、ポズナン近郊にも多くのウクライナ人が到来した。自分の会社へも雇用機会の打診があったが、今は落ち着いている」とMさん。

短い滞在だったが、ウクライナへの人道支援は、多くのポーランド国民の強い意思を伴っていることを感じた。大量の穀物輸入を含めポーランドにとってウクライナ支援が大きな負担になっていないか、現地の人たちに尋ねてみた。ホテルから会社まで送ってくれた地元出身のドライバーさんは、「さまざまな影響は出ているが、避難民の受け入れは勿論のこと、我々がウクライナを支援するのは当然のことだ」と、きっぱり。

ポーランドは分裂と支配の歴史に彩られている。わずか 30 年ほど前(1989 年)までは旧ソ連の従属衛星国。第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の両側からの侵略により、国土が二分される悲劇を経験した。それ以前も周辺国による侵略と支配の繰り返しに翻弄された歴史を持つ。それ故に政治と国際情勢に対する国民の意識は高い。

街のレストランや店で接する地元の人たちは、いたってフレンドリーで、かつ規律性に富む。市中ではほぼ英語も通じる(大方のレストランには英語のメニューがある)。前述のドライバーさんは英語での会話に窮すると、スマホを取り出してグーグル翻訳アプリを使って、国の事情や自分の考えを伝えてくれた。

それでもMさんによると、ひとたび事が起こると自己主張の強い国民性が前面に出ることが多いと言う。職階を忖度しないオープンなコミュニケーションと容易には自分の非を認めない姿勢は、日本人の対極にあると感じるそうだ。両国の歴史の違いが生むものだろうか。そんな中でMさんは、赴任後2年目で会社の黒字化を達成。ひと方ならぬ努力と苦労、それに工夫と自制があったものと推察する。

街の建物は第二次世界大戦の戦火で多くが焼失したが、その後原形を復旧。市の中心街 Old Market Square は、生憎、全面改修工事中だったが、それでも白いテントで覆われたレストランのテラス席は地元の人で賑わっていた。ここがウクライナ国境からわずか450キロ(東京ー神戸の直線距離相当)かと思うと不思議な気がした。

ポズナンに在住する日本人は極少数だ。カバー写真は、Old Market Square に1軒ある日本食レストランの入り口に掲げられた看板。一見して右から左への横書きと「食物」に違和感を覚えたが、よく見ると寿司の「司」の字が左右裏返っていた。ポズナンは遠い。

この異国の地で、現地人200名余りを率いて奮闘するMさん。グローバルリーダーとしての一層の活躍を願って止まない。