M0 負けたことに負けない



2024年パリ・オリンピックの序盤で日本で大きな注目を浴びたのは、何と言っても国のお家芸・柔道で共に2連覇を目指した阿部一二三、詩(うた)兄妹だっただろう。異次元の強さとの前評判で試合に臨んだ二人だったが、兄は連覇を果たし、妹は2回戦で一瞬のスキから相手選手の返し技に倒れた。

投げられた直後の彼女は、しばし茫然。その後、館内に響き渡るほどの大声で号泣した。どれほど悔しかったのか、到底受け入れられない現実に号泣以外に手段はなかったのだろう。館内からは「ウタ、ウタ・・」の声援。一部で競技運営を遅らせたことへの批判もあったが、多くの人がその胸中に想いを寄せたことと思う。

常勝者にとって、ましてや並々ならない努力を払ってきた者にとって、負けはキツイ。詩選手の号泣の大きさは、そのままそれまでの彼女の努力の大きさだった。

失敗もある、負けもあるのが現実だ。企業経営においても、多大な努力を払ったにもかかわらず、結果が得られないことはある。

外資系重電プラントメーカーの日本法人社長時代に、保守契約を含む総額1,000億円に及ぶ国内発電プラントの受注合戦に、フランス本社のトップ、スイスのエンジニアリングセンターの技術陣を巻き込んで、グループ一丸となって取り組んだことがある。

契約上の国内外の商務条件の違いや、時期を同じくして発生した自社既納プラントのトラブルなどで、受注活動は難航した。しかし、我々にとってこのプロジェクトは、受注額の大きさだけでなく、国内発電プラント市場で地歩を拓く必注案件だった。入札書類提出の前日は、パートナー企業とのトップ折衝で私も徹夜状態だったが、プロジェクトメンバーはその一週間前からほぼ不眠不休で活動していた。

最終的には2社に絞られた候補社リストに残った。が、結果は失注だった。このプロジェクトの指揮者として、無念の極みと、それまで尋常でない努力を払ってくれたメンバーに申し訳ない思いとで、心が折れそうだった。

そんな時、ある経営者の言葉が目にとまる。自社ビルの近隣にあったスポーツ用品を扱う会社の方(当時会長)が、スポーツマンシップとして掲げる6カ条だった。それは、こんな書き出しで始まる。

1条:常にルールを守り、仲間に対して不信な行動をしない
2条:いかなる相手もあなどらず、正々堂々と尋常に勝負する
3条:絶えず自己のベストを尽くし、最後まで戦う
4条:チームの一員として、最高の勝利を得るために戦う
5条:健康に留意し、いかなる時でも全力を発揮する習慣を養う

正直言って、ここまでは特段心が動くようなことはなかった。しかし最後の第6条を目にした時、これぞ正に彼の「生き様の真髄」を告げられたようで、傷心の身に戦慄が走った。

6条:転んだら起きればよい。失敗したら成功するまでやればよい

彼とは、神戸の小さなスポーツ用品卸業からスタートし一代で世界企業にまで押し上げた、現アシックスの創業者 鬼塚喜八郎さんである。この一念こそが、創業期の幾多もの困難に立ち向かった彼の起業魂だったに違いない。残念ながら、私の在任中に鬼塚さんはお亡くなりになり、経営者同士のご近所付き合いは叶わなかったが、この第6条は、当時の私を立ち直らせてくれただけでなく、その後の人生の道標となった。

「転んだら起き上がる。失敗したら成功するまでやる」オリンピック連覇の夢は叶わなかったが、阿部詩選手もまた、負けたことに負けてはいない。試合後のコメントでは「必ず強くなります!」と前を向いた。近い将来、「今回の負けは、より大きく羽ばたくために必要だった」と思える日が、きっと来るだろう。その日を願って、これからも声援を送りたい。