M5 外資系企業に在籍して学んだ交渉術の基本


M&A
や戦略的連携を模索する企業間交渉で、テーブルの向こう側は全員日本人、こちら側は私以外全員外国人、話す言葉は英語。外資系企業に勤めていた時、こんな会議を度々経験した。慣れない内はどことなく気まずい。

その気まずさは、自分が日本人なのに外資系企業の代表者として振舞うことから生じるものだ。特に相手企業が日本を代表するような大手企業だと、外資系側に陣取る我が身は「売国の徒」にでもなったような心持にもなる。(実際は、そう見られているのではないかという自意識によるものだろうが)今振り返ると、この微妙な立ち位置が、交渉に臨む基本姿勢を体得するのに役立ったように思う。

この種の交渉は双方が自陣営を利するように運ぼうとするが、これが強すぎると往々にして上手くいかない。交渉成立には、相手の利害認識をしっかり理解した上で、互いが納得する決着点を探索する努力が必要だ。

日本企業側の風土や文化を知ると共に、外資系企業(自社)側の内情にも通じる身には、この姿勢は取りやすかった。加えて私には、外資系にあっても「日本に世界で通じる企業を少しでも増やしたい」という強い願望があった。1980年代、激化する国際競争でどん底に落ち込んだ日本の造船業を何とかしたいという思いが、30代で経営の道を志した動機であり、自らに課した使命でもあった。

このような会議の場では、外資系側に陣取る自分とは別に、もう一人の(幽体離脱した?)自分が交渉テーブルの中央に浮かんで、両サイドを見ながら双方が納得する決着点を探索している。そんな感覚になることが良くあった。そんな中で度々感じたことは、日本企業側の意思伝達のあいまいさ、「発言の歯切れの悪さ」だ。

必ずしも英語力の問題ではない。俎上に上がったテーマに対しては、相手側の立ち位置を理解、尊重した上で、自らの主張を論理的に、かつ明確に伝えるべきだが、残念ながら、これが上手く出来る日本代表は少なかった。

交渉の局面で、外資系側が大きく譲歩して日本企業に利する案を提示した際も、それに対する反応を明確には示さないことさえもあった。さまざまな思惑からか、明確な意思表明がないままに大事なタイミングが流されていく。特定の企業を指しているわけではない。在任中、この種のハイレベル交渉を日本の大手企業4社と行ったが、どこも似たり寄ったりだった。

ちょうどオーケストラの交響楽の演奏で、それまで控えていたシンバルがバーンと大きく鳴ってクライマックスを迎えるように、張りつめた交渉局面で、日本側が高らかに意思表明をすれば一気に流れをつくれるはずなのに、「肝心なところで、シンバルが鳴らない!」。テーブルの中央で幽体離脱状態で指揮をとる身にとっては、それがとても歯がゆかった。

詰まるところ、①自社事業の戦略性と、②トップの意思決定のあり方と、③コミュニケーション力の問題に行き着くように思えた。交渉で「何を取り、何は譲歩できるのか」の覚悟の不足、交渉過程での最終意思決定者のリーダーシップの欠如、基本的な意思疎通スキルの不備と言い換えてもいい。

そんな中で、時として日本側からもテーブル中央の幽体離脱界に参画する人が出てくることがある。大抵はトップではなく、国際経験に富み、眼前の自社の利害を超えた社会使命を心に抱く次世代リーダーの人たちだった。双方にこのタイプが一人でもいると、交渉は深みを増し、納得感の高い合意形成も、信頼で結ばれたチームづくりも可能となる。

このような経験以降、日常生活でも幽体離脱したもう一人の自分を意識することが多くなったように思う。自らを律しつつ、社会(自分も周囲も)を利するには、「いったん己の事情や思惑から離れ、全体を包含する世界のあるべき姿を見定めた上で、自らの考えを明確に伝える」。外資系企業の代表者として臨んだ日本企業との交渉が、この重要性を教えてくれたように思う。