M6 テキサスでひとり見上げた白い月


1983815日、米テキサス州ヒューストン郊外のとある民家の庭先で、私はひとり夜空を見上げていた。振り返れば、この三日間、不安と緊張の連続だった。

ヒューストン到着時は空港で出迎えるはずの知人が現れず、電話でホテルに迎車を頼んだ。当時はスマホも携帯電話もない。異国で公衆電話をかけるのは初めてだった。迎えに来たワンボックスカーのドライバーは大きな黒人男性で、眼だけが異様に白かった。

車に乗ったはいいが、このままどこかへ連れて行かれたらどうなるのか。当面の生活費、2,000ドル(当時の為替レートで50万円弱)を腹巻の中に持っている。黙っていると不安なので、下手な英語で話しかけ続けた。その都度相手は何か言ったが、理解不能。無事ホテルに着いた時は、監禁状態から解放された思いだった。

着いたのはモーテルのようなホテルで、投宿した部屋は1階。パティオ風の駐車場に面していた。夜遅くまで車が出入りし、そのたびにカーテン越しに騒音とヘッドライトと人の声が漏れ入る。初めての海外宿泊、初めての時差で朝になっても寝つけなかった。翌日は日曜日で、目覚めた時は午後の4時をまわっていた。

三日目から語学研修が始まった。着くや否や、教師に「車は運転できるか」と訊かれる。国際免許証は持って来たが全くのペイパードライバーだと伝えると、「昼休みに練習しよう」と言う。初めての左ハンドル車、加えて10年近く運転歴はなく、手に汗がにじむ。交差点を曲がるたびに助手席から「右だ、左だ、そこは反対車線だ!」と叫ぶ英語教師は、教習所の鬼教官と化していた。

研修期間中私を受け入れてくれるホストファミリーが現れたのは、夕刻だった。40代半ばの分厚い眼鏡をかけたひょろっと背の高い男性と、妊娠中の妻だった。男性はレイ、妻はカリタと名乗った。日本人のホストファミリーになることを心待ちにしていたと言う。一通りの自己紹介の後、彼らの家に向かう。車で40分ほどの所のようで、以後私は彼の家と研修所を車で往復するように言われる。昼の特訓はこのためだった。

カリタが自分の車で先導し、レイが私の車の助手席で道案内すると言う。大きなシボレーの後を研修所が用意した小さなフォードがついて行く。10分ほど走ると環状線に入った。片側4車線の高速道路を大型のアメ車がレーシングカーのように走っている。当時日本にこんな道路はなかった。

必死でハンドルを握る私にレイがしきりに話かける。日本のどこに住んでいるのか、東京はどんな街かといったたわいもない質問だが、こちらはまだ英語も覚束ない。「今は運転に集中したい」と言った(はずだ)が、それでもレイは話を止めない。何をどう応えたかは全く覚えていない。高速道路を降りた時は、全身汗びっしょりだった。

しばらくすると踏切があった。先導するカリタの車が踏切の向こう側で止まったので、列車は来ていなかったが踏切の手前で待機した。レイがいきなり大きな手で私の肩を叩いて、「やるじゃないか」と微笑んだ。不安だらけの運転手に一瞬だけだが小さな自信が芽生えた。

どこをどう走ったのか全く分からなかったが、何とか家にたどり着いた。疲労困ぱい。明日からの通学が思いやられる。当時カーナビはない。夜、コピーした地図を何枚もつなぎ合わせてレイに道順を描いてもらった。地図では高速道路の入り方も出方も定かでなかった。

ここでの語学研修は、ボストンでの留学を前に「生活慣らし」を兼ねて2週間受講するものだった。その後待ち受ける 2年間の留学生活を無事に乗り切れる確たる自信はなかった。英語はまだたどたどしかったし、その上、それまで4年間の造船所での会社生活は学究とは縁遠いものだった。唯一日本から持参した分厚い機械工学便覧だけが頼りだった。期待を遥かに上回る不安が心を占領していた。

当時、私は31歳。渡米直前に結婚し、妻は4か月後に来米することになっていた。異国での新婚生活と留学、これからどうなるのだろうか? ボストンでの二人の居住地もまだ決まっていない。考えると空中分解しそうな頭を冷やそうと、一人夜の庭に出た。意外に明るい。何気なく空を見上げると、大きな月。

それは日本で見た月と寸分違わない月だった。何もかも馴染みのない世界にどっぷり浸かった中で、唯一自分が長年知る存在がそこにあった。身体の真ん中が温かくなるのを感じた。

“天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも”

八世紀、遣唐使として大陸に渡った阿倍仲麻呂(698-770)が、故郷を想って朝鮮半島で詠んだ歌だ。この時、朝鮮半島で空を見上げる仲麻呂と時空を超えて心がつながったように思えた。同時に、それから迎える2年間の異国での生活も、月が変わらず照らしてくれることを想った。

以来、不安を伴う大きな出来事に遭遇するたびに、月を見る。私にとって月は、我が身を照らし、希望の道へと導く心の支えとなった。