M0 人生張りを持って生きるなら、ロールモデルをもつ



ロールモデルとは、自分のお手本や目標となる人のことを指す。スポーツ界で大谷翔平選手や松山英樹選手のようなスーパーヒーローが現れると、彼らに憧れて多くの子どもたちがその道を目指すことからも分かるように、ロールモデルの存在は人生に希望と方向性を与えてくれる。


多くの人が憧れる存在に限らず、ロールモデルとの出逢いは人によってさまざまだ。偉人伝や歴史上の人物の伝記を読んだり、現在さまざまな分野で活躍している人の生き方を見聞きする中で、ロールモデルを見出すこともあるだろう。私の知人のご子息は、学生時代に愛読した消防士を主人公とする漫画のシリーズ本に触発され、東京消防庁への就職を決めた。当初この就職に賛同しかねていた知人だったが、同じ漫画本を読み、子どもの心中と動機が理解できたと話してくれた。


職場ではそれほどまでのヒーローでなくても、また、ひとりの人の全てがお手本とはいかないまでも、さまざまな側面で学びとなる人が身近にいることが、日々の活力の源泉となり自らの成長の糧となる。特に直属の上司がそのような人なら最高だ。しかし、なかなかそうは行かないケースもあるだろう。そもそも誰であっても、万人(部下全員)にとってのロールモデルを期待するには無理がある。ロールモデルは自らの手で探索する対象とも言える。


私にとっては、若き日に米国への留学の道筋を示してくれたMさんが当時のロールモデルであり、人生の恩人とも言える。社会人となって間もない頃、まだ自分が何者かも分からず悶々とした日々を送る中、ご自身の経験をもとに世の趨勢(すうせい)と留学の可能性をご教示頂いた。あの時Mさんと出逢わなければ、苦悶の日々は続き、随分違った人生を歩んでいたようにも思う。


人ひとりの経験には限界がある。同時に自分の人生は自分自身のものだが、自分一人では完結し得ないのも事実だ。今の自分にはない資質や経験をもち、憧れや目標の対象となるロールモデルを得ることは、人生を歩む上で大きな希望となる。


他方、職場でグループを率いるリーダーは、好むと好まざるとメンバーからは(暗黙のうちにも)ロールモデルとしての役割を期待されていると認識すべきである。仮に自分はそこまでの任には耐えないと思っても、そう自覚することが自らを律し成長させる一歩となり、メンバーに良い影響を及ぼすことへとつながる。


日本の職場が活力に乏しいのは、ロールモデルと思(おぼ)しき人が少ないことも一因のように思う。現実は、いないのではなく、潜在的な人材は存在しても、本人に自覚が不足していたり、周囲が認識し切れていなかったりする可能性も高い。メンバーも、そしてリーダー自身も、職場でさまざまな人と仕事をすることを(自らの資質を含め)ロールモデル探索の旅と捉えると、仕事の意味合いも深まり、互いに切磋琢磨して前に進む力にもなるだろう。


先ずは「自分にとってのロールモデルを持つ。」そして、いずれは「自分自身も誰かにとってのロールモデルに足る存在となる。」世代を問わず、いくつであっても人生張りをもって生き、活力に満ちた社会(職場)をつなぐには、欠かせない心構えに思える。

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