アフガニスタン、パキスタンで35年間、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い、戦火の最中も医療・救民活動に身を投じた医師中村哲さん。彼の半生を綴るドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」を観る機会を得た。
ハンセン病治療の医師として山岳地帯の無医地域を回り、診療所を開いた。治療してもし切れない新患患者数を見て、水が行き届いていない生活環境の改善が最優先と知ると、『百の診療所より一本の用水路』を唱え、井戸・灌漑用水路の建設プロジェクトを立ち上げる。サポーター、後継者の関わりを得て、掘った井戸は1,600本、拓いた用水路は総長25キロ以上に及んだ。
現地の人からカカ・ムラト(中村のおじさん)と慕われ、現地政府からも反政府軍からも認められる存在だったが、2019年12月何者かの武装集団が放った凶弾に倒れる。享年73歳。マハトマ・ガンジーと並び、世界がノーベル平和賞を渡しそこねた一人に数えられている。
一本の映画だけから氏の全てを知るわけにはいかないが、この稀代のリーダーはどのように生まれたのだろうか。氏の著書「天、共に在り」と合わせて探ってみた。
なぜ、そこまで救民の思いに駆られるのか?ー『そこで苦しんでいる人がいれば、見過ごすわけにはいかない』 では、それに身を投じてやり通す覚悟はどこから来るのか?
ー『強固な信念や高邁(こうまい)な思想があったわけではない。生れ落ちてからの全ての出会いが、自分の意識や意思を超えて関わっていることを思わずにはおれない』、『全てはつながっている』―生きる中で出会った、あるいは導かれ与えられたミッション(使命)ということなのだろうか。
中村さんは活動の中で二つの大事な認識を得る。一つは、民族のルツボにして国際紛争のメッカと言われるアフガニスタンで、さまざまな人々との接触から得た「人種、宗教、文化に関わらず、人間が共通に大事にしているものがある」との認識。もう一つは、干ばつと豪雨、用水路の建設を通して体得した「人間は自然の一部であり、自然との調和なしでは生きては行けない」という認識だ。これらの理念が氏の活動のベースにあったことは間違いない。
キリスト教徒としての宗教的な信念も核としてあったように思える。『私たちが己の分を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということ』。著書のタイトル「天、共に在り」も宗教的な支柱の確かさを感じさせる。
この映画を撮影・監督した谷津賢二さんは言う、「中村さんは、仁義に生きた人」と。「仁義」の「仁」とは人に寄り添うこと、「義」とは正しい行いをすることの意。仁義に生きたとは、「人に寄り添って、正しい行いに徹して生きた」ということだ。
人間の欲望のままに拡大し続ける資本主義社会では、他者を押しのけて己の利益を最優先に考える風潮が広がっている。アメリカを筆頭に、世界の主要国でも「自国ファースト」を唱える政治リーダーが出現している。そんな時代にあって、中村さんはその対極を生き抜いた。
『一人で成り立つ自分はない。自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。』
中村哲さんを単に偉人として崇めるだけではなく、自分が他の多くの存在と共に生かされている事実に意識を向け、他者と自然への関わり方をもう一度見直したい。
(関連図書)「天、共にあり」 中村哲著 NHK出版刊
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