M10 「お客さまは神様」なのか?



日本を訪れる外国人観光客の多くが、日本人のおもてなし精神、ホスピタリティの高さを賞賛する。彼らが日本で接する相手は、主にホテルやレストラン・店舗で接客にあたる人だろう。この種の賞賛には納得がいく。何と言っても日本では「お客さまは神様」(Customer is a God.)だからだ。


顧客への接し方は国によって異なる。ヨーロッパでは概ね「お客さまは王様」(Customer is a King.)と言われることが多い。ビジネスディスカッションで白板やスライドの図を使って議論する際、現地の同朋は顧客を表すシンボルとして「王冠」マークを使っていた。王様なので相当高いステイタスだが、日本の神様には及ばない。


これがアメリカになると「顧客は(ビジネス)パートナー」(Customer is a Partner.)に変わる。アメリカでも高級店なら顧客をそれなりに丁重に扱うのだろうが、日本人からすると、アメリカ人の接客態度は総じてぞんざいに思える。相手が対等なパートナーなら、神様や王様に接する時のように身を縮め屈(かが)める必要はないのだろう。


この辺のお国柄の違いは、国際線フライト(特にエコノミークラス)のキャビンアテンダント(CA)の接客態度に表れる。ここだけを取れば、アメリカの航空会社のフライトは出来れば避けたい気持ちにもなる。


商取引で物やサービスを提供する側が購入する側に丁重な態度で接することは、極めて好ましいことだと思う。しかし、この態度が「相手がお金を払ってくれる人だから」という理由だけで取られる、あるいは取られているように感じられるのなら、注意が必要だ。


そのような態度は、どこか表層的で不当に慇懃(いんぎん)な感じが拭い切れない。人間同士の貴重な関係がお金に屈しているようで、何となく気分が良くない。日本人のおもてなしには、より深い所で相手を思いやる精神文化の支えがあるが故に、海外からの賞賛も得られるのだろう。


他方、日本では「お客さまは神様」が顧客・サプライヤーの両面で社会通念化しており、一種の(絶対的な)階級意識にまで昇華されてしまっていることにも注意が必要だ。実際、相手は人間で、神ではない。


かつて日本の重工業会社の造船所に勤務していた頃、顧客(船主)との打合せ議事録は、会議の中での船主側と造船所側の発言をそのまま記すのが定番だった。通常造船所がドラフトするこの種の議事録では、船主の発言は全て命令口調で、造船所の発言は全て「です・ます」調の丁寧語で書かれるのも慣例となっていた。


ある議事録のドラフトで、船主の依頼事項への造船所の返答として「了承しました」と書かれた部分が、上司の査読によって「拝承しました」と朱書きで訂正されたことがあった。日本語に「拝承」という言葉があることを、この時初めて知った。入社後間もない頃だったので、「これが(当時の)社会通念というものか」と、顧客という属性が創り出す階級意識に唖然としたことを覚えている。


流石に今は状況が違うかとは思うが、社会の中でのこのような「階級意識の硬直化」がカスタマーハラスメントを誘発する原因ともなり兼ねない。日本では顧客・サプライヤーの関係に限らず、先生・生徒、監督・選手、上司・部下、先輩・後輩、年上・年下、親会社・子会社勤務、官僚・管轄下企業等など、属性をベースとした階級意識が社会の隅々に巣食っている。


「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、150年前の福沢諭吉の言である。元来、いつの世も、自らが如何なる社会的立場にあろうとも、このシンプルにして自明なスタンスが社会生活を営む上での基本姿勢だ。これを心した上で、これからも日本人としてのホスピタリティ精神を大切に育みたい。

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