会議中は誰も発言しなかったのに、会議後の仲間内の会話では議論が白熱するといったことが、日本の職場ではありがちだ。何とも残念だが、なぜこのようなことが起こるのだろう?
日本人の会議には特有のモードがある。良くあるケースは、
‐ 職責や年功の序列を意識して、上位者には反対意見を言わない / 言えない
‐ 他者との同意(和)が尊ばれ、皆と異なる意見や振る舞いは敬遠される
‐ テーマに対する「意見の相違」が、相手に対する「嫌い」という感情と混同されやすい
‐ 常に正解を言おうとし、議論を通して正解にたどり着くというメンタリティに乏しい
などだ。
また、自らが会議やプレゼンテーションをリードする立場になっても、
‐ 「考えられる案はAからEまで5つありますが、どれがベストとは一概には言えません。後は皆さんで決めてください。」
‐ 「私はA案でも良いと思いますが、皆さんの言うことも一応理解できるので、B案でも良いと思います。」
などの発言が飛び出したりする。
会議では発言のトーンやニュアンスに気を配ったり、その場では意見を控えてタイミングを図ったりする方が良い場合もあるだろう。しかし、他人の意見や感情を必要以上に忖度して、自らの率直な意見を表明しないことが習性になると、徐々に自分自身の意見を持つことさえも出来なくなる恐れがある。
日本人以外のビジネス会議では、「発言しなければ、その場に居る資格ナシ」が参加者の暗黙の了解だ。会議で発言することは参加者に課せられた責務であり、自分がどのタイミングでどう議論に貢献するかを考えながら参加する。これが大前提である。
外資(仏)系企業に勤めていた頃、日本の某大手企業と戦略的タイアップを模索するトップ会談を行ったことがある。双方の社内事情を考慮して、週末、都内のホテルで会合した。仏側からは本社CEO、グローバルセールスの総責任者(共にフランス人)と私、日本企業側からは代表権をもつ社長と専務、それに対象事業の事業部長と国際営業部の部長の計7名が会議に臨んだ。
初対面の会議ながら双方ともに胸襟を開き、ミーティングは満足の行くものだった。会議後、仏側はホテルに留まり、会議中の話合いをレビューし、その後のステップについて話し合った。この際、仏の二人から最初に出た質問は、日本側の専務の存在だった。「彼はどのような役割で、今回の交渉にどんな影響力を持っているのか?」
二人が疑問を抱いたのは無理もなかった。専務は最初と最後の挨拶以外、2時間半の会議中ついぞ一言も言葉を発しなかった。相手と目を合わせるわけでもなく、時折メモを取るのみ。会議室の中にブラックホールが一つあるようで、テーブルのこちら側からは明らかに異様に映った。
「賛成するなら覚悟を、反対するなら対案を示す」
弘下村塾の卒塾朋友 K さんの座右の銘だ。至言である。双方にとって何が本質的に大事かを見極め、自らの立ち位置を明確にする。周囲の感情に配慮しつつも、大事な場面では自分の意見を率直に伝えることだ。それこそが人からの信頼を得るベースであり、社会を本気で生きる証左とも言える。
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