M6 企業倫理の前に知るべき日本人の法意識


「法意識」とは、人々の法に関する一般知識、考えや感じ方のことを言う。『日本人には、自覚しないままにべったりと張り付いた特有の法意識がある』と説くのは、元裁判官で法学者の瀬木比呂志さん。知人からの紹介で、氏の著書「現代日本人の法意識」(講談社現代新書)を読んだ。率直に言って、多くの日本人が読むべき本だと強く思った。

本書を読んで、これまで自分が法の実態についていかに疎かったかを知った。特に心に留めたのは、日本法の①「切断の歴史」、②「法のバックボーンとなる普遍的理念の欠如」、③「法支配と人権に対する意識の低さ」の3点である。

    日本法は一貫した法体系のもとに連続して進化して来たわけではなく、大きくは明治維新と第二次大戦の敗北による切断の歴史をもつ。

明治憲法は欧米列強と伍していくため、近代的法制度整備の要請からヨーロッパ法を参考に制定され、現憲法は敗戦直後の米国の影響下で策定された。このため、日本人にとって法は(無意識のうちにも)「外圧によって受け入れるもの」の観があり、現代に至っても確たる法意識が育っていない。

    欧米法の歴史の原点は、キリスト教、ギリシャ哲学、ローマ法にあり、特に法を支える普遍的な理念としてのキリスト教の存在が大きい。

明治憲法ではこれを模して、政治判断から「天皇を国体の基本」としたが、これが以降のファシズム化・帝国主義へとつながった。現憲法では天皇は国の象徴として存在し、現代においても法のバックボーンとなる普遍的理念は欠落していると言わざるを得ない。

    国家の「法支配」とは「権力も法の下に置かれる」原理だが、日本ではこれが厳格に守られているとは言い難い。また、さまざまな局面で社会問題となる人権に対する法意識は、法曹界を含めて決して適切に根づいているとは言えない状態にある。

民事裁判においては(他国と比べ)和解勧告が極端に多い。和解勧告は江戸時代の大岡裁き以来の「喧嘩両成敗」(白黒つけない日本の文化)の色彩が強く、法の下、理非に基づいて人権を尊重する民主主義の基本からはかけ離れる。(不祥事を起した際、過ちを恥じるより「世間をお騒がせした」ことを詫びる風潮も、これと無縁ではないように思える。)

本書は、これらの背景や遠因から現代社会で起こる婚姻関連トラブル、死刑を含む犯罪に対する刑罰のあり方、冤罪等にまつわる日本人の法意識を詳述する。また法曹界の実務経験者ならではの視点から「裁判や裁判官をめぐるリアルな真実」を伝え、独立性が担保され難い現行の裁判官制度の改革の必要性をも唱える。

弘下村塾のワークショップでは、遵法精神を前提に企業倫理について共に考え、学ぶ機会がある。しかし、企業経営に関連して法そのものに対する意識と法の実態理解にまでは踏み込んではいない。

本書は、私だけでなく(おそらく)多くの日本人が認識していない日本法の特質とそこから派生する課題を明らかにし、『日本的法意識が、日本の政治・経済等各種システムを長期に渡りむしばんでいる停滞と膠着に深く関与している』可能性を指摘する。一読をお薦めしたい。


(推薦図書)現代日本人の法意識 瀬木比呂志著 講談社現代新書 2758

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