「定年後、犬も閉口、五度目の散歩」ある年のサラリーマン川柳の入選作だ。笑いを誘う一句だが、そこには、日本の会社員の老後不安が凝縮されているようにも思える。毎日会社に通い、組織の中で役割を果たしてきた人間が、突然「自由」を手にすると、かえって戸惑う。時間はある。しかし、何をしてよいか分からない。
社会との接点を持とうと思っても、名刺がないとどう自己紹介すれば良いのかさえ戸惑う。会社人生で職責が高かった人ほど、周囲との接し方に戸惑いが大きいと聞く。デイケアセンターに行っても、一人でソファーに座って新聞を読んでいるだけ。施設の人が声をかければ、「今日の予定はどうなっているのか」尋ねるだけの会話になりがちだ。
会社ではなく、社会で生き抜いてきた八百屋や魚屋の親爺さんとは大きく異なり、自らの行動半径は驚くほど狭くなる。ましてや、元〇〇会社の▢▢(職責)などの名刺を持てば、周囲から白い目で見られるだけで、前述の川柳よりも滑稽に映るだろう。
定年後も憂いなく生きるには、まずは経済的安定が大前提だ。よく老後を送るための手持ち資金はいくら必要かが話題になるが、本来、身体が元気で社会と健全に接する気構えがあれば、自分と配偶者が暮らして行けるだけの収入を得ることはさほど難しくはないだろう。
大事なことは、社会に自分なりの価値を提供できること。そして、そのために社会との接点を広げられることだ。私は、前者を「プロフェッショナル力」、後者を「経営力」と呼んでおり、これこそが定年後に問われる力になると考えている。
仮に卓越したプロフェッショナル力がなくても、経営力があれば、退職後の道を切り拓いて行くことはできる。私が勤めた外資系企業に、退職後スーパーマーケットで買い物カートの集配業務をしている人がいる。彼は現役時代、営業部長として敏腕を振るった人だ。幾つもの大型の商談をまとめ、会社の業績に大きく貢献した人物である。
周囲には、「定年後と言えども、もっと別の仕事もあるのでは」と言う人もいるようだ。しかし、ご本人はこの仕事を気に入っている。お客さんや店員さんとの交流を通して世の中と接するのが新鮮で楽しいそうだ。外資系企業の部長という過去の肩書にとらわれず、自然体で新しい仕事に向き合えるのは、彼がもともと、「人と関わりながら価値を生み出す」ことのできる経営力を持った人だったからではないかと、私は思っている。
プロフェッショナル力と経営力、この二つの力は、定年後だけでなく、会社人生そのものを、会社依存から社会自立へと転換していく上でも大切な土台になる。近年は、副業を認める企業も増えている。しかし、本当に大切なのは、副業できる制度があることではなく、自分が会社の外でも、誰かの役に立ち、社会が必要とする価値を生み出せるかどうかである。会社人生の早い段階から意識しておきたい。

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