社会の中で本気で生きようと思えば、多くの力を必要とする。感情や勢いだけでは、複雑な現実を乗り越えることはできない。物事の本質を見抜く力、人と協働する力、自分の考えを伝え、相手の声を聴く力、限られた資源を活かす力、社会との調和を保ちながら行動する倫理観、そして学び続ける習慣。こうした力があって初めて、人は社会の中で自らの役割を果たすことができる。
一見すると、途方もない力のように思えるかもしれない。しかし私は、これらの力の多くは経営を学び、実践する過程で身につくものだと考えている。弘下村塾では、経営思考、問題解決・戦略立案、会計・財務、組織・人事、意思疎通、志・倫理という六つの領域を学ぶが、そこで扱う内容は会社経営だけに役立つものではない。人生も経営も、人間が人間とともに物事を成し遂げる営みである。違いがあるとすれば、その対象と規模だけだ。経営力とは、会社を動かすためだけの知識や技術ではない。社会の中で生きていくために必要な力そのものと言っても過言ではない。
さらに大切なのは、これらの力を個別のスキルとして身につけるだけでは十分ではないということだ。思考力だけあっても人は動かせない。人間関係だけ上手くても成果は生まれない。倫理観だけでは現実の課題は解決できない。それぞれの力が一人の人間の中で統合され、ホリスティックな力となって初めて、現実社会の中で生きた力となる。したがって、経営力をつけることは、社会の中で自らの人生を切り拓く人間力を磨くことに通じる。
私はこれまで、多くの経営者と接してきた。その中で忘れられない出来事がある。ある企業との弘下村塾で、塾生プロジェクトの最終発表会が行われた時のことだった。あるチームの発表後の質疑応答で、一人の役員が提案には含まれていなかった重要な論点を取り上げ、「なぜそこを検討しなかったのか」と塾生たちに問いただした。その指摘は正論だっただけに、塾生たちは一瞬返答に窮した。しかし、その論点はチームも重要と認識していたものの、限られた期間の中で優先順位を考え、あえて検討対象から外した経緯があった。そのことを説明しようと私が口を開きかけた時、同席していた社長が先にこう言った。
「君、それは我々が考えるべきことではないか。我々にも答えが出ていないことを、ここで彼らに問い詰めるより、彼らの提案内容をもっと聴こう。」
私はその言葉に深く感銘を受けた。社長は塾生をかばったのではない。学びの場を守ったのである。さらに講評では、「それぞれの実務で忙しい中、経営についても学び、ここまでの提案をしてくれてありがとう」と、塾生たちを感謝の言葉でねぎらった。
その時私が感銘を受けたのは、社長の知識や判断力ではなかった。自らの立場や権限を使って人を追い込むのではなく、人が成長する機会を守ろうとした姿勢だった。そこには課題を見極める思考力も、組織運営力も、意思疎通力も、経営トップとしての志もあった。しかし、それらはスキルとして表れていたのではない。一人の人間の在り方として表れていた。
経営の世界では、とかく知識や技術が語られる。しかし、本当に優れた経営者ほど、その力を人を活かすために使う。私はその社長の姿を見ながら、経営力の本質は人間力にあることを改めて教えられたように思った。
人は一人では生きていけない。人に支えられ、人を支えながら生きている。その中で自分の頭で考え、自分の役割を引き受け、周囲と力を合わせながら歩んでいく。そのために必要な力こそが、経営力であり、人間力なのである。

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