「振り返ったとき、いい人生だったと思えること」──結局、多くの人が本当に望んでいるのは、このことではないだろうか。人によっては、高い地位に就くことかもしれない、大きな収入を得ることかもしれない、有名企業で働くことかもしれない。しかし、それらを手にしたとしても、自分なりに考え、選択を重ねて過ごしてきたという感覚がなければ、人はどこか満たされない。逆に、決して華やかではなくても、「自分なりに納得して生きた」と思える人生には、静かな、それでいて確かな充実感がある。
会社で長く働いていると、いつの間にか、「会社の評価」が「自分自身の価値」であるかのように感じ始める。昇進すれば安心し、評価が下がれば自信を失う。しかし、本来、会社での評価と、自分の人生への納得感は、必ずしも一致するものではない。
私自身、長年多くのビジネスパーソンと接してきたが、職責や年収の高さと、人生への満足感とは、必ずしも比例しないと感じることが多かった。むしろ、「自分は何のために働いているのか」「この仕事を通して何を成そうとしているのか」を、自分自身の言葉で語れる人ほど、どこか穏やかな強さを持っているように思う。
私も、若い頃、会社の評価をそれなりに気にしていたように思う。特に外資系企業では、人事考課の結果によって処遇や待遇が大きく変わる。家計にも影響する。しかし、良い評価を得たいと思って行動しても、必ずしも思うような結果になるとは限らなかった。市場環境や競合の動きといった外部要因もあれば、人間関係を含めた職場事情もある。
そうした経験を重ねる中で、いつからか、評価そのものを追いかけるより、自分がやるべきことに集中し、自分なりに納得できる仕事を積み重ねることに気持ちを向けるようになった。すると不思議なことに、以前ほど評価に振り回されなくなり、結果として、周囲の評価がどうであれ、自分を見失いにくくなったように思う。
こうした経験を経て、私は、「心底納得できる会社人生」とは何だろうかと、改めて考えるようになった。本当は海外で働いてみたかった。もっと現場に近い仕事を続けたかった。別の事業部で働きたかった。新しいことに挑戦してみたかった。もう少し家族との時間を大切にしたかった。人によっては、そういう思いを抱くこともあるかもしれない。しかし、そのたびに、今は会社の方針だから、異動があるから、前例がないから、評価に響くからと、多くの人が自分を言い聞かせてきた。
もちろん、組織の中で働く以上、我慢や調整は必要である。すべてを自分の思い通りにできるわけではない。しかし、本当に苦しいのは、「できなかったこと」そのものより、「自分の意思を十分確認しないまま、流れに任せてしまった」という感覚が残ることではないだろうか。
心底納得できる会社人生とは、必ずしも、失敗のない人生ではない。現実には、昇進しなかった無念さもあるかもしれない。転職すべきだったと思う瞬間もあるかもしれない。さらには、もっと違う職業人生があったのではと思うこともあるかもしれない。それでも、「自分で考え、自分で選び、その結果を引き受けて生きた」と思えるなら、人はどこかで人生に折り合いをつけることができるように思う。
逆に、会社や他人に人生を委ねたまま年齢を重ねると、「本当は違う人生があったのではないか」という思いが、行き場のない後悔として残り続ける。会社人生に、絶対の正解はない。どの会社に入るか、どんな仕事を選ぶかによって、人生は大きく変わる。しかし最後に問われるのは、「会社がどうだったか」ではない。その中で、「自分はどう生きたのか」である。
会社に所属していても、自分の人生まで会社任せにしないこと。異動や評価に一喜一憂するだけでなく、「自分はどう働きたいのか」「何を大切にして生きたいのか」を、自分自身に問い続けること。そうやって、自分なりの価値を社会の中で育てていくこと。その積み重ねが、振り返った時に、「自分なりに納得できる人生だった」と思える土台となる。私はそんなふうに考えている。

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