M10 2022年から我々は何を学んだか?


2022 年が暮れる。コロナウィルス感染が収まらず、今年も世界中で社会活動にリスクを抱えながらの1年となった。しかし、人間社会のもっと大きなリスクが顕在化した年でもあった。2月からのロシアのウクライナ侵攻によって、過去約 80 年間で人間社会が克服したかに思えた世界大戦のリスクが一気にあらわになった。

入手できる情報の限りでは、ロシア・ウクライナ戦争は、明らかに為政者としての適格性を欠くプーチンの暴挙の結果に思える。彼の言う「ネオナチ」とは 80 年前の亡霊が蘇ったかのようであり、さらにこれを西側諸国連合(NATO加盟国)と重ね合わせるなら、ゴルバチョフのペレストロイカで終結したはずの東西冷戦が、シベリアの永久凍土から解凍して出てきたような不気味さを感じる。

さらにこの事態に直面して、国際社会はロシアを制することが出来ず、逆に、西側諸国はウクライナに武器を供与することで、ウクライナを代理戦争の当事者にしてしまった。

行うべき本筋は、ロシアへの中途半端な経済制裁でも、ウクライナへの様子見的な武器供与でもない。周到で執拗な外交による和平(戦争終結)交渉だ。これをノー天気な理想主義と言うなかれ。経済制裁も武器供与も和平交渉とセットでなければ、逆に事態を悪化させ、長引かせ、罪のない犠牲者を増大させるだけだ。世界の為政者たちは、この「ど真ん中の努力」を怠っている。

一方、日本をみれば、発足から1年余りの岸田政権が迷走している。相次ぐ閣僚の不祥事による辞任・更迭、記録的円安への財政・金融政策の失敗、平和憲法から乖離した防衛装備計画、福島第一原発事故を置き去りにした原発回帰、膨れ上がる国家予算と赤字国債、旧統一教会問題への対応不手際など、現政権は「これで本当に政治のプロか!」と叫びたくなるほど、課題を山積させている。

このような国内外の出来事から、2022 年は、民主主義であれ、独裁政治であれ、「人間社会はリーダーによって決まる」ことを改めて浮き彫りにした年だった。しかも、世界には国や社会を率いる信頼に足るリーダーが希少だ。残念だが、日本はその最たる国に思える。

問題は個々の国の民の能力より、リーダーを輩出する社会システムにある。特に政治に関しては、日本だけでなく、世界の大半の国があるべき為政者を輩出する有効な仕組みを持ち合わせていない。リーダー教育に最も力を入れていると思われるアメリカでさえ、昨今の大統領を見るとそう言わざるを得ない。

戦争なき世界を含め、地球規模の課題を解決するには、各国のリーダーを早くから世界レベルで育成する仕組み(機関)がどうしても必要だ。ここに人間社会のリーダーシップに関わるスキルとマインドセット(哲学)、国際情勢の理解と政治に関する世界中の叡智を注ぎ込む。

各国で政治リーダーになるには、最低でも2年、事前にこの機関で学ぶことを要件とする。若いうちに他国の次世代リーダーと共に学び、他国を想い、自国を見つめ、切磋琢磨しながら互いを理解し合う日々を過ごす。そうすれば、世界は今よりずっと思慮深く、協調的になるだろう。

現在はG7でも、リーダー同士が互いを人として、国家の代表者として十分に理解し合っているとは言い難い。今の表層的な関係性と相互理解のレベルでは、緊迫した国際政治を操り地球最適解にたどり着くには無理がある。

世界も、国も(そして会社も、事業部も、部も、課も、さらにはサッカーチームも)、人間社会はリーダーで決まる。社会全体で次世代リーダーの育成レベルをさらに上げると共に、現在、組織を束ねる立場にある人には、自らのリーダーとしての人格と力量を高める努力を一層払ってほしい。


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