「一身独立して一国独立する」とは、1873年に刊行された「学問のすゝめ」(三編)での福沢諭吉の言だ。それまで数百年続いた封建社会から脱し、日本が近代民主主義国家として独立の道を歩むには、国民一人ひとりが支配の対象ではなく、広い見識をもって独立することが必須と説いた。
あれから150年。この言葉は「一国」を「一社」に変えると、現代の企業社会に生きる我々への檄となる。月曜朝の出社の重い足取り、職場のストレスからのうつ病発症、不正行為への不本意な加担、定年後再雇用の不条理な就労など、会社勤めの負の側面は、社員が精神的・経済的に会社から自立していないことと無縁ではない。
一つの会社に忠誠を尽くすキャリアは、日本の高度経済成長期に是とされたものだ。一生懸命働きさえすれば、会社は大きくなり、職責も給与も上がった。会社や自分のあり方を問うよりは、多少の理不尽には目をつぶり、上から言われたことに従順に仕事を全うすることで、幸せな職業人生が送れた時代だ。つべこべ言わずに働けば事業は拡大したので、会社にとってもこのような社員が好ましかった。
しかし、今は違う。会社に従順にしたがって耐えるだけで幸せになれるとは限らない。仮に耐え抜いて定年まで勤め上げても、今の年金受給額と高齢者雇用環境ではその後の経済的不安はぬぐえない。会社にとっても、言われたことを黙ってやる社員だけなら、存続を危うくするだろう。求められるは、自らの意志で行動し新しい地平を切り拓く主体的な社員だ。会社にとっても、社員本人にとっても、今や社員の「一身独立」がサステイナビリティ(持続可能性)の基本要件となっている。
「一身独立する」には、職業モードを「会社で生きる」(=会社帰属型人生)から「社会で生きる」(=社会自立型人生)へと転換する必要がある。これを成すには「専門職志向」と「ネットワークづくり」が鍵となる。
「専門職志向」とは、「社会でプロとして生きる」ことを意味する。現代社会は、設計技術者、開発エンジニア、バイヤー、生産管理者、セールスマン、経営者、弁護士、会計士、医師、看護師、理学療法士、教師、警察官、消防士、パティシエ、芸人、ユーチューバー・・などなど、無数の役割(職種)の分業で成り立っている。
会社勤めをする中でも、自分がどのような専門職(プロフェッショナル)を担うかを明確にし、その力量を養うことだ。これまでのように新卒一括採用で会社に入り、所属部署も会社が決め、人事異動にも言われるままに従い、社内で通用するだけでは、「一身独立」は遠く及ばない。当然ながら「会社員」という職種は存在しない。
問うべきは「今の報酬は、自分のどんなプロフェッショナル力によって得ているのか?」、「今の組織を離れても、そのプロフェッショナル力で今と同等(以上)の報酬は得られるか?」だ。これを糧(かて)に職業生活を送る覚悟と研鑽が必要だ。
もう一つの鍵は「ネットワークづくり」。いくら力があっても人間関係が限定的なら、それを発揮するチャンスも限られる。最近は転職エイジェントの活動も活発だが、人的ネットワークを広げる努力は必須だ。自分の職業人生は自分自身のものだが、自分一人だけでつくれるものではない。今の職場だけに閉じこもることなく、複数のコミュニティーで建設的な人間関係を築くことが欠かせない。
「専門職志向」と「ネットワークづくり」。この2つがなければ、いくら会社が副業を認めても身動きが取れないだろう。これまでは、この2つを会社の中に閉じ込めてきた。時代が変わり、社会が変われば、生き方も変わる。敢えて転職を奨めるつもりはないが、ひとり一人が組織に縛られず自立した職業人(プロ)となれるか否かが、今後の日本の企業社会の活力を大きく左右する。
「一身独立して一社独立する」
日本の企業人は、150年の時空を超えて、福沢諭吉の教えを再度肚の底で受けとめる時にある。
(関連留考録)M4 社員を「年齢」で見るか「意志と能力」と見るか?
(推薦図書)「なぜ僕らは働くのかー君が幸せになるために考えてほしい大切なこと」池上彰監修 学研プラス刊:中高生向けに書かれた本だが、大人にとっても示唆に富む。特に就活時に仕事の本質について熟考することが少なかった会社員には必読の書と言える。
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