M0 「弛まぬ学び」を生活の一部にする構え


「私は文系ですから・・」と言う50代の会社員に出くわすことがある。「理数系は不得手」の代弁かと思うが、若き日の大学での2年間の専攻を指して一生「文系」を標榜するのはいかにも不自然で、残念に思える。

世界のリーダーたちは、理系も文系もなくどん欲に学んでいる。異なる分野で2つの学位を持つ人(Dual Degree Holders)も珍しくない。日本では博士号は「足の裏についたご飯粒のようなもの」(=取らないと気持ち悪いが、取っても食えない)と揶揄(やゆ)されるが、高額の報酬を得ている多国籍企業の経営トップには博士の称号を持つ人が少なくない。

日本の大学生は、学生生活を社会に出るまでのモラトリアム(猶予)期間と見なし、学業にもう一つ力が入らない。企業も採用選考では学業成績よりクラブ活動やアルバイト経験などを診て、評価項目も人柄やコミュニケーション力などを重視する。これでは何のための大学教育なのか、学生が勉学に身が入らないのも無理からぬ所以(ゆえん)と言える。

会社に入ってからも、社員教育には受け身の姿勢が目立つ。教育プログラムはそれなりに揃っていても、キャリアプランと連動していないこともあって、社員教育は往々にして「会社からやらされるもの」となっている。中にはビジネススクールなどに自費で通う自覚者もいるが、残念ながら全体からみると少数派だ。海外留学を志す人も以前より減っている。残念だが、日本の会社員の学びに対する意欲は総じて低い。

スイスのIMD(国際経営開発研究所)が毎年行っている World Talent Ranking 2022年版では、日本は調査対象63か国中41位。日本の上には中国、韓国、マレーシアがいる。過去30年の日本経済の低迷や昨今の産業界の大型製品開発プロジェクトの失敗も、これと無縁とは言えない。日本の人材育成はかなり「ヤバイ水準」にある。

結局、多くの日本人にとって勉強は大学受験のためにするもので、そこで終わってしまっている。大手企業が採用応募者を最初に出身大学で振るいにかけることも、これに符合している。本来、人生での本当の学びは高等教育と社会に出てからなのに、これではますます世界から引き離されるばかりだ。

この要因には、日本の雇用形態にも一端があると思える。日本の会社員は新卒一括採用で入社し、所属部門も担当職種も会社が決める。職業に就く際、最も重要な選択である職種と自分が関わる製品やサービス領域を他人(会社)の決定に委ねることになる。多くの人がこれを与件(当然)として職業人生を送っている。しかし、これでは身体の中心から湧き上がるプロ(専門職)意識は持ちにくい。

「プロ(専門職)」を意識せず「会社員」として職業人生を歩もうとするなら、特定分野で自分の力量を上げるための「学びの意欲」にも火は着きにくいだろう。

” 野球が頭から離れることはないです。
上手くなるためにやることは、まだたくさんあると思っています。
今日やったことだけが、明日になる。そう思ってやっています。"

最近TVコマーシャルで流れる大谷翔平選手のメッセージだ。当然ながら、彼は自分の意思で野球を職業に選んでいる。

職業人としてのプロ意識を持つ。プロ意識は「社会の中での志」と言い換えてもいい。「弛まぬ学び」を生活の一部にするには、これが欠かせない。嬉々とした職業人生のためにも、国の国際競争力アップのためにも、日本の企業人にはこの構えが必要だ。


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