M6 経験を本当の自信につなげる方法


人間は経験から多くのことを学ぶ。次に同じようなことが起こった時、経験を積んでいれば自信をもって対処できる。自信は経験と共に大きくなる。然(しか)りだ。しかしこれには落し穴が二つある。一つは、経験が常に正しいガイドになるとは限らないこと。ヘタをすると、逆に経験が禍(わざわい)して判断や行動を誤ることもあり得る。もう一つは、経験だけに頼っていると、未経験の(膨大な)事柄に対して自信が持てないままで終わってしまうことだ。

これを克服するには、一つひとつの経験を個別に体得するだけではなく、その積み重ねから背後にある普遍性や原則に目を向けることだ。すなわち「経験からの学びを概念化する」必要がある。概念化された経験知は、未経験のことに対しても適用でき、生きる上での心強いガイドとなる。

私にもそのような経験知がいくつかある。その一つが(以前本留考録にも記した)「ニーバーの祈り*1」だ。仕事や私生活で難しい選択を迫られた時、「何が自分にコントロールできて、何ができないのか」を見極めることで、自分が集中すべき対象が定まる。


かつては悩みに時間を費やし、やっとの思いで決したことも後で悔いることが多かった。その経験から悩みの本質を自問していた中で、この経験知を得た。以来、よりスッキリ生きることが出来るようになったように思う。

「コントロール出来ることと、出来ないことの見極め」は、事業指針を得る際のSWOT分析にも通じる。自社ではコントロールできない外部要因(O:好機、T:脅威)と、コントロールできる内部要因(S:強み、W:弱み)を分けて捉え、事業が置かれた状況を整理すると、自社が本来注力すべきことが見えてくる。

教育や学習の真価は、このような「経験の概念化」にある。学習と言うと、新しい事柄を学ぶことに価値を置きがちだが、既知の事柄の体系化・概念化の方が生きる上でのより大きな示唆(しさ)を与えてくれるように思う。今まで何となくバラバラに知っていたり感じたりしていたことが、「先達の教え」(=教育)によってストンと肚落ちした時、目から鱗が落ちたように視界が広がり、前に進む自信にもつながる。

「経営力は教育では身につきませんから、修羅場を体験させるに限ります。」 経営リーダー教育を語る際、幾度となく聞く言葉だ。経営力の養成に経験が欠かせないことに全く異論はない。しかし、だからと言って「教育は無用」と考えるなら大きな誤認だ。

弘下村塾では経営力養成の方程式を、経営力 =( スキルの修得 + マインドの醸成 ) X  経験 と置いている。カッコの中が「先達からの学び」、普遍性や原則を見極める力となる。これを手にすると、その後の一つひとつの経験をこの軸に照らして振り返ることができ、経営力が運用知として効果的に積み上がっていく。これなくして闇雲に経験を積んでも(それがたとえ修羅場であっても)、包括的な経営力はつきにくい。

寺山修司*2は「書を捨てよ、町へ出よう」と綴っている。「書に学ぶ凡庸(ぼんよう)に終始せず、リアル(現実)にまみれろ」とのススメと解するが、書は捨てる前に少なくとも一読すべきものだ。そうでなければ、町に出ても悪戯(いたずら)に右往左往するだけだろう。


経験を本当の自信につなげる鍵は、「先達の教え」を糧(かて)に、一つひとつの経験を原則に照らして積み上げることにある。


(関連留考録)M2 2020 年から我々は何を学んだか?

*1 米神学者 ラインホルド・ニーバー18921971の伝え: 「神よ、我に与えたまえ。変えることの出来るものを、変える勇気を。変えることの出来ないものを、受入れる平静さを。そして、その二つを見分ける知恵を。」

*2 寺山修司19351983歌人・劇作家。前衛演劇グループ「天井桟敷」を主宰。評論集「書を捨てよ、町へ出よう」は、1967年に発刊。