M0 リーダーの試金石「人が望んでついて来るか?」

 

組織のトップはリーダー的存在であって欲しい。が、残念ながら、そうではないケースもあるだろう。上司(ボス)であることとリーダーであることは別だ。

これについては、英国の百貨店チェーン・セルフリッジズの創業者ハリー・ゴードン・セルフリッジ氏が端的にして興味深い言葉を残している。曰く、

・ボスは私と言う。リーダーは私たちと言う。
・ボスは恐怖を吹き込む。リーダーは熱意を吹き込む。
・ボスは時間通りに来いと言う。リーダーは時間前にやって来る。
・ボスはやれと言う。リーダーはやろうと言う。

他にもいくつかの指摘があるが、上記はどれも心当たりがあり、うなずける。上司は組織の中での上下関係で規定された役割で、権限と責任が付与され、組織運営上の指示や命令を下すポジションである。当然ながら、部下は(通常であれば)上司に従う。しかし、必ずしも自らの自由意思によって従っているわけではなく、基本は部下という役割に沿った振舞いである。

一方、リーダーには指示・命令を下すような権限や責任があるわけではない。リーダーは何かで規定されたポジションではなく、リーダーであるかどうかはその人について行く人(フォロアー)がいるかどうかで決まる。リーダーとフォロアーの関係は上下ではなく、前後の関係だ。したがって「俺はリーダーだ」と豪語しても、フォロアーがいなければリーダーたり得ないのがリーダーである。

ここで基本に返って、人を行動に駆り立てる(動かす)方法について考えてみる。大きく3つの方法がある:①「組織上のパワーで強いて動かす」、②「人格で導いて動かす」、③「論理で説いて動かす」の3つだ。

上司にリーダーとしての資質が伴っていなくても、①「パワー」によって部下を動かすことはできる。しかし、これに頼るばかりでは、部下本来の意欲と力量を引き出すことは難しいだろう。早晩、息切れする。上司は、「上司というだけで十分に威圧的」だ。好むと好まざると、上司の背後にはパワーの影がある。私の数多もの反省の遍歴からは、上司になったら「パワーは(非常時以外は)能動的に使わない」方が、物事は上手く運ぶことが多い。

人を動かす上での鍵は、②「人格」と③「論理」にある。この内、「人格」は最も重要な要素だが、一朝一夕に成せるものではない。生きることそのものがこれを磨く不断の営みであり、これを持ち出されると誰もがツライ。

そんな中で先ず注力すべきは、「自分にも他人にも誠実で、自らの仕事に真剣である」ことだ。政治家も、経営者も、医師も、エンジニアも、ユーチューバーも、ラーメン店の店主も、「自らが信じることに情熱を持って専心している人」は人を引きつけ、周囲からのサポートも得られやすい。その意味では人格にたどり着く第一歩として、本気度・「情熱」が鍵を握る。

もう一つの「論理」は、人を動かすだけでなく、経営全般に欠くことのできない資質である。潜在課題の特定、課題解決案の抽出、各種の意思決定など、あらゆる経営判断に必須の力であり、これらが衆目の納得を得、共感を呼ぶなら、人の行動は促されるだろう。

「右手にロジック(論理)、左手にパッション(情熱)」とは、弘下村塾が掲げる経営リーダーが持つべき資質を表すフレーズである。新年度を迎えて上司となったら、それだけでリーダーと誤認せず、真のリーダーとしての資質を磨く新たなスタートと理解したい。


(関連留考録)M0 「右手にロジック、左手にパッション」その2つを結ぶものは?



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