心が沈んだ時、苦境に立たされた時、本で出合った一文や、誰かに掛けられた言葉に救われた思いになった経験をもつ人もいるだろう。言葉は、時として大きな威力をもつ。その時に置かれた状況によって、何気ない一言が自分にとって特別な意味を帯びることがある。私にも、そんな言葉との出逢いがある。
四十代半ばで転職した直後のことだった。全身にわたる極度の痒みで、通常の生活ができなくなった。痒みで夜も眠れず、体力は著しく消耗した。アレルギー性皮膚炎の治療薬として二十年以上使い続けていたステロイド軟膏を止めたことによる、いわゆるリバウンド症状だった。
当初は二、三か月もすれば治まるものと思っていた。しかし半年を過ぎても症状は悪化する一方だった。期待され希望を胸に移籍した転職先だったが、一年後、ついに休職を余儀なくされた。
顔全体が赤く張れ上がり、その後、ドス黒い色に変色し始めた。体中が信じられないほど痒く、骨の奥まで痒いように感じられた。掻くと大量の皮膚が落屑し、全身から汁が滲み出る。自律神経も大きなダメージを受け、夏でも寒くてガタガタと震えた。正直、生きているのが辛かった。
症状を治めるには、ステロイドから完全に離脱する必要があったが、決定的な治療薬はない。時間はかかるが、自然治癒力に委ねるしかなかった。鹿児島の片田舎にある、肌に良いとされる温泉保養所に湯治にも出かけた。転職直後だったため、休職手当の支給はほどなく打ち切られた。下の子はまだ二歳。桜島から立ち昇る噴煙を眺めながら、「これからどうなるのだろう」と、出口の見えないトンネルの中にいるような気持ちでいた。
そんな折に出会ったのが、「朝顔のつる」という詩だった。童謡詩人・金子みすゞの作である。
垣がひくうて朝顔は、どこへすがろとさがしてる
西も東もみんなみて、さがしあぐねて考える
それでもお日さまこいしゅうて、きょうも一寸また伸びる
伸びろ 朝顔 まっすぐに、納屋のひさしがもう近い
もし普通の体調と精神状態だったなら、特段の感慨もなく読み過ごしていた詩だったと思う。しかしこの時は、天からの啓示のように感じられた。四行からなる詩は、最初の三行が朝顔が行く先を求めて戸惑う情景を描き、最後の一行で一気に視界が開け、朝顔にエールを送る。その一行を目にした瞬間、思わず涙が溢れ出た。
何とか日常生活に戻り、復職できたのは、半年の休職後、発症から一年半が過ぎてからだった。しかし症状はその後も続き、左目が網膜剥離になりかけ、白内障も患って入院することになった。顔も手足も皮膚はボロボロで、仕事で人前に立つのが辛かった。
結局、元の生活を取り戻すまでに五年の歳月を要した。私の四十代後半は、まさに辛苦の道のりだった。その後、この会社の代表職に就くことになるが、この間、長きにわたって私を信じ、支えてくれた方々には、今でも感謝の念に堪えない。そして何度も心が折れそうになった時、我が身を支え続けてくれたのが、「朝顔のつる」の最後の一行だった。
「伸びろ 朝顔 まっすぐに、納屋のひさしがもう近い」
今、長い人生の中で先行きが見えない状況にあって、何を信じるのかと問われれば、こう答えたい。「もう一歩踏み出せば、わずかでも光が差し込むことがある。だからこそ、どんな時でも希望だけは手放さずにいたい。」――四十代の闘病経験から、私はこの大切さを身をもって学んだ。
(関連留考録)M6 「希望のつくり方」

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