M10 生成 AI(4)仕事は楽になるのか、奪われるのか?



これまで世に革新的技術が現れると、職を奪われる危惧を抱いたのは、決まって単調な労働を担うブルーカラーワーカーだった。ところが、生成 AI で置き換えが進むのはホワイトカラージョブだ。一方で今人手不足が深刻なのは、物流や運輸、介護や接客など、人間が身体を動かす仕事である。「
事務仕事を AI が担い、体力仕事を人間が担う」 これまでの常識からすると、何とも不可解な世が到来している。

このようなことから、生成 AI によって仕事がなくなることを不安視するホワイトカラーワーカーもいるだろう。これには、生成 AI のアウトプットが、自分の仕事の「完全な代替」となるのか、「ツールによる支援」となるのかの見極めが必要となる。

生成 AI の凄いところは、ありとあらゆる質問や依頼に対し、人間の脳では処理し切れない圧倒的な情報量から、関連素材を瞬時に選択し組合せて返答する(AI 案を出す)ことだ。これまでの AI も、明らかな答えがある質問への回答や、文章やスペルのチェックくらいは出来たが、これだけ広範で利便性の高い機能は持ち得なかった。要約も(仕組上)お手のものなので、会議の議事録や返信メールのドラフト作成などは、人間より遥かに速い。

文章だけでなく、プログラムコードやプレゼン資料の作成にも絶大な威力を発揮する。「~を作って」というリクエストに加えて、「こんな構成で」、「このくらいの長さで」、「この要素を入れて」、「この立場から」、「ここを強調して」などの条件を入力すれば、それらを満たしてアウトプットする。もし結果に満足がいかなければ、例えば「専門用語をもっと少なくして、一般の人にも分かり易く」などと指示すれば、それに沿った改定版も出す。しかも何一つ嫌な顔(?)をしない。

したがって、今の事務仕事が誰かの「指示通りに(イヤイヤ?)する作業」なら、生成 AI に置き換わる可能性は高い。一方、指示を考えて出す側の立場なら、生成 AI は超有能にして忠実なアシスタント役となるだろう。実際、生成 AI の利活用には「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれる指示情報の入力技術が鍵とされる。

昨年(20237月)マッキンゼーが発表したレポート(Generative AI and the future of work in America:生成AIと米国での仕事の未来)では、今後縮小する三大業務はオフィスサポート、カスタマーサービス、フードサービスとなっている。例えば、プログラミングや(アニメなどの)画像コンテンツの製作では、単なる複製のような下請け仕事は消滅するだろう。その分、これらの業界の生産性は飛躍的に向上する。レポートでは、2030年までに米国内で約1,200万人の職業シフトが起きると予測している。

私見では、今後、企業は自社に特有の生成 AI プラットフォームを構築し、社内イントラネット上で使うようになるものと思う。社内規定や製品・サービス情報など、社内のあらゆる情報を基本データとして、市場や顧客、競合情報と、各部門の業績や活動実績にかかわる情報を生成 AI が自動で取り込めるようにすれば、自社独自の「マネジメント・インテリジェンス・プラットフォーム(MIP:経営知能基盤)」が出来上がる。これまで「運と勘と限られた経験」に頼ってきた企業経営は、結果に直結する超高効率な運営に一変するだろう。

同時に、経営には一層のクリエイティビティ(創造性)が求められる。事業運営がハイパーオートメーション化された職場で人間に問われるのは、個々人の価値観と、より良い未来を築く構想力と、そして確固たる意志だ。

日本のホワイトカラーワーカーの生産性は、他国と比べて著しく低いことが知られている。2022年のデータでは日本の国民一人当たりの労働生産性(85,816ドル/人)はOECD加盟38か国中33位。1位のアイルランド(269,404ドル/人)と比べると、日本人が3人寄っても、アイルランド人1人の生産高に及ばない計算だ。日本の直ぐ上はハンガリー(32位)、ラトビア(31位)、スロバキア(30位)、いずれも旧共産圏の東欧諸国である。

ここまで見てきたように、生成 AI にはこの状況を一変させるだけの威力がある。革新技術のリスクに躊躇することなく、生成 AI の社会実装をどの国にも先んじて押し進めるべきだ。逆に、もしこれに乗り遅れれば、いよいよ日本は世界の端からこぼれ落ち、百年単位で這い上がれない国となるだろう。

国のリーダーにも、企業経営者にも、本気で生成 AI に向き合う覚悟が求められている。



【追記】
スタンフォードのコースを修了し、アメリカからの帰国の機内で「The Creator ・創造者」という人間とヒューマノイド( AI )が共存する世界を舞台にした米 SF スペクタクル映画を観た。こんなストーリーだった。

敵の最強秘密兵器の在りかを探し出し破壊する任務を受け、現地に乗り込んだ主人公は、それが超進化系 AI 少女だと知る。しかも少女は、科学者だった亡き妻が世界平和のために自分たちの子を模して創ったものだった。命令に反し、少女を守り連れ去ろうとする主人公は、敵からも味方からも追われることになる。

映画は、核爆弾がさく裂する危機の中、主人公が我が身を捨てAI 少女を脱出させるところでエンディングを迎える。「それは人間じゃない、機械だ!」と叫ぶ同僚の声が耳に残る


この舞台の設定は
2075年。果たして今から50年後、このような世界が待っているのだろうか。スタンフォードでは登壇する教授陣の大半が、過去18カ月間の AI 研究の異様なまでの進捗の速さに驚愕を隠し得なかった。社会学では、小さな行動が蓄積した結果、ある時点を境に劇的な変化が起きる現象ティッピングポイント(Tipping Pointと呼ぶ。デジタル研究分野で最先端を行くとされるスタンフォードの教授陣でさえ、今回のティッピングポントには予測がつかなかったようだ。これからも何が起きるかは、未知数だ。

生成 AI を生んだ人間社会の行く先には、大きな期待と不安が入り混じる。が、基本は「我々ひとり一人が、人間として何を大切にして、どう生きるか」だ。新たなフェーズに入る世の中にあっても、この問いを胸に、希望を持って先を目指したい。


(関連留考録)
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